夫婦の不和をきっかけに、一方の親が他方の親に無断で子どもを連れて行方をくらます、あるいは実家に帰って連絡を遮断する、そうした事態が日本でたくさん起きているのをご存知だろうか。これは現在、親による「子どもの連れ去り」問題という大きな社会問題になっている。「連れ去り」問題に見る家族破壊の実態を、メリーランド大学講師のエドワーズ博美氏が実例を挙げて解説してくれた。
※本記事は、はすみとしこ:編著『実子誘拐 -「子供の連れ去り問題」日本は世界から拉致大国と呼ばれている-』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
覚えのないDVで8年も実子に会えない悲劇
A氏は大手企業に勤務するサラリーマンで、専業主婦の妻に小学生の娘、普通のどこにでもあるような3人家族だった。
そんな幸せな家庭が、妻がたまたま家の近くにある女性相談所に行ったことから一変してしまう。女性相談所に通い始めて半年後、妻が娘を連れて行方不明になってしまったのだ。
そして、そのわずか一週間後に、弁護士から「奥さんが離婚を決意している、話し合いはできない」との電話がかかってきた。膝を突き合わせて話し合えば解決できるだろうと転居先を探すも、役所には「住所非開示になっています」と言われる。
あとでわかったことだが、妻がDVを理由に役所に支援措置申出書を提出していたのだ。1年半以上かけて、ようやく居場所を突き止めて娘に会いに学校に行くも、警察沙汰にされてゆっくり父子の会話をすることも叶わなかった。
その後、妻は再び転居して嫌がる娘を無理矢理、再度転校させてしまう。娘はそれから一度も学校に行くことなく、不登校のまま義務教育を終えてしまった。和解すれば娘との面会交流もできるだろうとの思いから、正式に離婚するものの、精神障害の診断書を突きつけられて面会拒否される。A氏は言う。
「家族と暮らしていた頃は、娘と週末に公園に行くのが楽しみでした」
「DVなど一度もしたことないのに、もう8年も娘に会えないんです......」
彼のように配偶者に子どもを連れ去られ、その後、我が子に会えなくなる人のことを「連れ去り被害者」と呼ぶ。こうした「連れ去り被害者」と言われる人たちと、1000人以上も面会したことのある支援団体の代表は、ほとんどの被害者がA氏と同様の経験をしていることから、連れ去りにはマニュアルがあるとしか思えないという。
家族が破壊され、DV加害者という濡れ衣を着せられ、そして我が子に会えない寂しさから、精神障害を発症したり自殺する被害者も決して少なくない。
「女性相談所」って、どんな機関?
「連れ去り」の引き金ともなった、A氏の妻も相談に行ったという女性相談所とは、一体どういう機関なのだろう。女性からの相談を受け付ける機関には「婦人相談所」と「女性センター」の2種類がある。
前者は、主に配偶者からの暴力の相談を受け付ける機関で、各都道府県に1つ設置が義務づけられており、平成8年4月に設立した配偶者暴力防止法により、配偶者暴力相談支援センターの機能も担っている。
後者は、各都道府県や市町村が自主的に設置したもので「女性センター」「男女共同センター」「女性相談所」等々、名称はさまざまだ。これら女性センターは、暴力以外にも女性問題一般に関する相談を受け付け、東京は最多の3団体が自治体から業務委託されて女性センターを運営している。なお、一般にシェルターと呼ばれる一時保護については、婦人相談所が自ら行うか、一定の基準を満たす者に委託して行われる。
婦人相談所や女性センターなどの配偶者暴力相談支援センターでは、相談を受けたという事実だけで証明書を発行してくれ、妻がこの証明書を持って自治体の窓口へ行き支援措置申出書、正式には 「住民基本台帳事務における支援措置申出書」を提出すると、夫の意見も聞かず事実確認もせずに、一方的に夫をDV加害者扱いにして妻の住所を非開示にしてしまう。
要するに、たとえそれが虚偽のDV申し立てであろうと「加害者」とされた側が、それに不服を申し立てて撤回するためのシステムは一切構築されていない。そして、支援措置を出されたという事実だけで、警察や学校、それに行政からもDV加害者というレッテルを貼られてしまうのだ。
A氏は和解離婚に応じれば、子どもとの面会ができると思い数年後に正式離婚した。しかし何年も面会交流ができないことから、面会交流調停を申し立てたところ「娘が精神障害であるから」という理由で面会を拒否された。
その後、なんら進展はない。A氏のような「連れ去り被害者」には、いくら子どもに会いたくても、行政や悪質弁護士たちの厚い壁が立ちはだかり、何年も我が子を抱きしめることもできずに、悶々(もんもん)と日々を送る道しか残されていない。