京都大学理学部を卒業後、大学院へと進み博士課程を経て著述業に。専攻は動物行動学で、著書が出版賞を受賞し、ベストセラー作家となった竹内久美子氏。世間というものを理解できるようになったのは大学生の頃、親元を離れて下宿生活を始め、家庭教師のアルバイトをすることで、初めて社会についての理解が一気に進んだそうです。
※本記事は、竹内久美子:著『66歳、動物行動学研究家。ようやく「自分」という動物のことがわかってきた。』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
この世は女が支配していると理解した大学生時代
大学入学からほどなくして、家庭教師のアルバイトを始めた。たいていは先輩のつてであり、京大の女子学生、それも理系というブランドはとても重宝がられた。大学院を卒業するまでの約10年間、家庭教師のアルバイトはほとんど途切れたことがなく、時には2か所、掛け持ちをするほどだった。
私は、自身が物事をすんなりと理解できるタイプではないので、教える相手がどこでどうつまずくかが、手にとるようにわかる。そんなこともあって「すっごくよくわかる。楽しい」と高評価されることが多く、下の子がいる家庭ではすべて「下の子もお願いします」ということになった。
家庭教師のアルバイトを通じて初めて知ったのは、世間というものである。それまでの私は、自分が女に生まれたことを悔しく思い、「なんで女なんかに生まれたのだろう。男ならもっとなんでも自由に選択できるのに」と悔やむ一方だった。
ところが少しばかり世間を観察してみると、正反対なのだ。この世を動かしているのは女のほう。男に従うかのように見せて、しっかり実権を握っている。財布のひもを握っているのもそうだし(これは日本に特有な現象らしいが)、特に子どもに対するしつけや教育、それとなく自分の考え方を刷り込ませるという点で、男にほとんどつけいる余地を与えていないのだ。
大学院に進学し、動物行動学を学んでみてわかったのは、メスがオスを選ぶのが動物の基本であるということだった。
哺乳類であれば、メスは一度妊娠すると、妊娠期間、出産、授乳、その後の子育て、とスケジュールが目白押しであり、次の子を得るチャンスは何年も先というのが普通である。片や、オスは一度射精したなら、次の子を得るチャンスは、精子が回復したとき。チャンスをものにできるかどうかは別として、チャンスだけはすぐに巡ってくる。
このようにメスには繁殖のチャンスが少ないことと、子を産み育てるために多大なエネルギーを必要とするということから、どうせ産むのなら、できるだけ質のよいオスの子を得たいと、オスを厳しく選ぶようになる。よって、メスがオスを選ぶことが原則になるのだ。
鳥を観察してわかった“パートナー選び”の本質
鳥でも同様のことが言える。鳥の9割くらいが一夫一妻の婚姻形態で、巣作り、エサやりはどちらも行うが、卵という大きな投資をすることと、抱卵もほぼメスの仕事であるため、メスがオスを選ぶ。オスは自分がいかに優れた資質の持ち主であるかを羽の美しさや歌、ダンスなどによってアピールする。
華やかなオスに比べ、メスは地味であることが多い。また、メスはオスと交尾した後、それっきり。メスはオスから遺伝子をもらうだけという鳥でも、オスのほうが圧倒的に美しい。当然だろう。オスは、いかに自分の資質が優れているかをアピールし、メスに選んでもらう立場だからである。
ところが、シギ・チドリの仲間では逆転現象が起きている。メスのほうが美しいのだ。これはまたどうしたことだろう。
実は、これらの鳥では、メスがオスと交尾し、卵を産むと、それをオスに託してしまう。抱卵、エサやり、子育てをオスに任せるのだ。メスが別のオスと交尾すると、やはり産んだ卵を相手のオスに任せる。
つまり、メスは卵を産むためのエネルギーは費やすものの、その他のことをオスに任せるため、オスのほうが拘束時間と、子育てに充てるエネルギーが多い。そのためオスは、どうせ育てるのならできるだけ質のよいメスの子にしたい。よって厳しくメスを選ばせてもらいます、ということになるのだ。
すると、メスとしては、自分はこれほど資質が優れています、ということをアピールする必要に迫られ、美しくなるという次第。もちろん、こういう繁殖のシステムにおいては、何回も繁殖できるメス(資質に優れたメス)がいる一方で、まったく繁殖できないメスもいる。
こうしてシギ・チドリのような特殊な例を検討することで、事の本質が見えてくる。よりエネルギーを使い、拘束時間も長い、つまり1回の繁殖に対する投資が多いほうの性が、相手を厳しく選ぶのだ。