テレビを窓の外へ投げた母の愛情

中学3年のときに母が再婚。それに伴い、武田は埼玉県越谷の新築一軒家に引っ越した。1階は両親が営むスナックがあり、武田の部屋もあった。義父は武田にずっと愛情を注ぎ続けてくれていた人物。もともとボクシングをやっていた義父は、喧嘩に負けてボロボロになって帰ってきた武田相手にスパーリングをやってくれるような、あたたかく強い人だった。しかし……。

「それまで、舐められちゃいけない、しっかりしないといけない、と思っていたのが、母親が再婚して、一軒家にも住めて、自分の部屋もある。望んでいた幸せが一気に手に入って、張ってた気持ちが切れて、抜け殻になっちゃったんですよね。でも義父は優しいから、僕の部屋はサンドバッグが吊るせるような作りにしてあるんです(笑)。でも、僕はサンドバッグを吊るすことすらしなかった」

友人と遊び呆け、勉強もしなくなり、9歳からずっと続けていた朝のロードワークもやめてしまった。そんな生活を続けていた、ある日。

「中学受験の頃かな。2階のリビングでソファに寝そべってダラダラとテレビを見てる僕に、母が何か文句を言ったんですけど、無視してたんです。そしたら、“こんなものがあるからいけないんだ!”って言って、テレビを担ぎ上げて、2階の窓から外に投げたんです。びっくりして母を見たら泣いていて。それだけでもちょっとグッときたんですけど、次の日、また新しいそれも新型のテレビが置いてあって。母が見せてくれたのが、僕が小さい頃からずっと見続けていた映画『ロッキー』のビデオだったんです」

この話を聞いて思い出したのは、THE BLUE HEARTS結成直後、甲本ヒロトが「『バッテンロボ丸』の再放送が見たい」という理由でバンドの話し合いに参加せず、それに怒った真島昌利がテレビを担いで持っていってしまい、そんなにも自分のことを考えてくれてるのか、と思って考えを改め、次の日『リンダリンダ』を作って持っていった、というエピソード。

「へえー、ヒロトさんもそんなことがあったんですね。自分のことをそれだけ思ってくれてるんだって意味では、もしかすると一緒かもしれません。やっぱテレビを捨てて、次の日もっといいテレビを買ってくる母親は、すごくカッコいいなと思いましたね」

テレビで見たK-1でキックボクサーの道へ

先ほど、中学生の頃の思い出として『ロッキー』が出てきたが、武田が格闘技と向き合うのは、もう少し先。高校に入学した武田は、武道系の部活ではなく、ラグビーを選んだ。入学した高校には空手部があったが、寸止めだったので、より体と体のぶつかり合いがありそうなラグビー部を選んだのだ。

「別に格闘技をやりたかった、好きな選手がいた、というわけじゃなくて。朝のロードワークも、ロッキーとかジェッキー・チェンを見て、漠然と強くなったらお金持ちになれるな、と思ってやってただけなんです。それこそ、義父がボクシングをやっていたから、スパーリングをしたり」

やがて、ラグビーでも頭角を表してきた武田は、ラグビーの推薦で国士舘大学に入学する。寮生活をしていたが、その寮のテレビで目の当たりにしたのが「第1回 K-1グランプリ93」で優勝したブランコ・シカティックの勇姿だった。一晩でたった3回勝つだけで、10万ドルもらえる……、一気に魅了された武田は、翌日には大学へ退学届を出した。

「しかも、ヘビー級で出ようと思ったんです。ラグビーをやっていてスタミナはあったので、じゃあウエイトを増やそうと。どうやって効率よく体重増やせるかで、卵と納豆、ご飯、水、もちろんプロテインも、めちゃくちゃ食べて飲みまくって、数ヶ月で30キロ増やしたんです」

このエピソードを本人から聞いて、武田幸三という格闘家に魅せられた理由がわかった気がした。出てくるエピソードは基本0か100か。K-1をやりたいと思ったら、両親の反対を押し切ってでも、大学を辞め、常軌を逸した肉体改造をして、ウエイトを数ヶ月で30キロ増やしてしまう。思ってもできないことをやる、言葉にすると簡単だが、途中で心が折れたりすることはなかったのだろうか。

「いやいや、だって大学辞めちゃってるんですもん、後戻りできないんですよ(笑)。折れる折れないというより、やるしかなかったんです」

▲いきなり「世界チャンピオンになります」と豪語したという

電話帳で、自宅から近い空手道場、という探し方で見つけてきた「治政館」というジム。そこで武田は初日、会長に向かって「世界チャンピオンになります」と豪語した。その日のうちに、自分より体格もウエイトも小さくて軽い相手に、スパーリングでボコボコにされるのだが……。

「友達にも母親にも大見得を切ったんで、退路を断ってるわけですよね。だから進むしかない。初日にボコボコにされたときも、現実を知ったけど、それで心折れるってことはなかった、むしろ決意が固くなりました。でも、治政館のジムがビルの3階にあるんですけど、その階段がすごく急で登るときは憂鬱でしたよ、僕は“勇気の階段”って呼んでました(笑)。“あー、今日もボコボコにされるのか”“あー、今日も練習地獄だろうなあ、イヤだなあ”って」

それでも、と武田は言葉を続けた。

「とりあえず目の前のやつから1人ずつ潰していく。同じジムのこの子に勝ったら試合を組んでもらえる、試合で相手に勝てば次の試合も組んでもらえる、デビューしてからはランキングにいる人を1人ずつ倒していく。すごく高い目標として、世界一になる、大金持ちになる、というのはあったけど、まず近くの目標を地道にやっていくしかないですから」