「この先 菅田将暉 週7 小松菜奈」で20万件のいいね!を獲得するなど、たびたびタイムリーな韻を踏んでバズっている、お笑い芸人のジョイマン高木晋哉のTwitter。今やフォロワー30万人を超える勢いだが、始めたのは2010年、ジョイマンが最も世間に忘れ去られていた頃だった。

その2010年から2020年までのツイートをまとめた書籍『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記』(ヨシモトブックス)が発売された。2008年の大ブレイクから落ち目となった時期、そして現在と、どんなときであってもラップを忘れなかったジョイマン高木。そんな彼に「人生の土壇場」について聞いてみた。

▲俺のクランチ 第16回(前編)-高木晋哉-

落ち目になると東京から遠ざかっていく

『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記』は、文字通り2010年から2020年までの高木のツイートが収められている。

「2010年は、ちょうどジョイマンの仕事がなくなってきた時期で、逆にTwitterとかフェイスブックとかのSNSが注目され始めた時期だったんです。周りの先輩とかも“Twitterはいいぞ、告知とか自分でできるし”と言ってて、もともと文章書くのが好きで、ブログもこまめに書いてたし、それで、暇だし(笑)。じゃあやろうかなと思って」

高木は以前、ブログをまとめたポエム集『ななな』(晩聲社)を出版している。

「ぜーんぜん売れなかった(笑)。そもそも僕、本屋さんでこの本を売ってるの見たことないんですよ。まだAmazonで新品で買えるんじゃないかな……え? 高値になってます? じゃあ、この本も今回セットで売りたいですね、たぶん会社のどこかに在庫ありますよ(笑)」

2010年に始まったツイートは、2回目の投稿で既に悲哀が漂っている。『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記』には、こう書かれている。

「単独ライブ稽古中、稽古中。チケットは絶賛余り中」(2010年3月2日)

「本当は仕事があるところから、この状況を見せられたらわかりやすかったですよね。これだと、フリがないままオチを見せてるような感じ。だって、仕事がないところから始まってるわけですから(笑)」

 

2008年に大ブレイクし、最高月収は180万。当時は寝る暇がないほどの時期を過ごしたジョイマン。しかし、早くも2年後の2010年には、TV番組の企画で「旬じゃない芸人」として登場していた。始めたばかりのTwitterでエゴサーチをすると、そこには「ジョイマン消えた?」というツイートがあふれていた。

「ブレイクの終わり方って、徐々に東京から遠ざかっていくんですよ、本当に徐々に(笑)。在京のキー局に出ていたのが、どんどん北や西のほうのテレビ局が増えてきて……、最終的にネットの番組とかになっていく(笑)。そこから、今度は番組にも呼ばれなくなって、営業が主になる。その営業もどんどん東京から遠ざかっていく……受け入れ難かったですよね」

そんなとき、周りの芸人の反応はどうだったのだろうか。

「ジョイマンは面白いから大丈夫、とか、売れてるときも“今だけだからな”って冗談めかして言われたりもしたんですけど……たぶん一番多かったのは“ポッと出過ぎて、周りが僕らのこと認識してない”って反応だったと思います。正直、ブレイクするまで、先輩はもちろん、同期ですらジョイマンのことを認識してる人って少なかったんですよ」