木村、浜口、寺西を一本釣り“はぐれ国際軍団”の誕生

「興行機能を失ったあと、吉原社長が考えていたのは他団体との合併です。つまりは国際がプロダクション化して、新日本か全日本に選手丸ごと拾ってもらうということ。

それで最初、全日本に話を持っていったんですけど、にべもなく断られたらしいんですよ。しかも、馬場さんに2回も会談をドタキャンされたんで、吉原社長はカチンときたらしい。『全日本が旗揚げしたときに全面協力してやったのに』ってね。それで新日本の新間寿さんと会談を持ち、そこで話がまとまったんです」

81年9月、新日本と国際は共同会見を開き、新日本の10・8蔵前国技館で両団体の全面対抗戦開催を発表。対戦カードは猪木vsラッシャー木村、藤波辰巳vs阿修羅・原、タイガーマスクvsマッハ隼人、長州力vsアニマル浜口、星野勘太郎&剛竜馬vs寺西勇&鶴見五郎という5試合が、併せて発表された。

しかし、実際に10・8蔵前のリングに上がったのは、ラッシャー木村、浜口、寺西の三人だけだった。その理由を流はこう語る。

「吉原社長は、会社対会社の取引きとして国際から全選手を新日本に送り込みたかったんですよ。そうすれば新日から国際にお金が入りますから。

しかし、新日本としては国際の全選手は必要ない。だから必要な選手だけ一本釣りして、個人的に契約を結んだんです。それが木村、浜口、寺西の三人だった。それで他の選手たちは『新日本に出たとしても“使い捨て”にされるだけだ』ということで、それぞれ全日本や海外マットに活路を見出していったんです」

こうして国際プロレスのメンバーはバラバラになり、木村、浜口、寺西の三人が“はぐれ国際軍団”として新日本に乗り込むこととなった。

そして10・8蔵前のカードは、猪木vs木村、剛vs浜口、藤波vs寺西の3カードに変更。決戦に先駆けて、9・23田園コロシアムのリングに、ラッシャー木村とアニマル浜口が登場。対抗戦への意気込みを語る際、ラッシャー木村が開口一番「こんばんは」と挨拶した。

この団体の存亡を懸けて闘う“決闘”の前にはそぐわない丁寧な挨拶に、場内は失笑に包まれる。これが有名な「こんばんは事件」だ。

「あのとき、たしかに失笑は起こりましたけど、素顔の礼儀正しい木村さんを知っている人には違和感はなかったんですよ。でも、ビートたけしさんが『こんばんは、ラッシャー木村です』ってギャグにしたから、妙に広まってしまっただけでね。だけど、あそこで笑われたことで、猪木ファンが上から目線で見下し始めたことはたしかです」

プロレスブームを支えた猪木vs国際軍団の抗争

迎えた10・8蔵前の対抗戦。まず藤波が寺西に勝利したあと、次に浜口が剛に勝ち1勝1敗のタイとなり、勝負は猪木vs木村の大将同士の闘いに委ねられた。

ファンの多くは猪木、新日本の勝利を確信したが、猪木のアームブリーカーや腕ひしぎ逆十字固めという得意の腕殺しを木村が必死に耐え、なんとかロープブレイク。しかし、エキサイトした猪木がブレークに応じず、腕ひしぎを解かなかったため反則負けとなり、対抗戦は2勝1敗でまさかの国際の勝利で終わった。ここから猪木vs木村、猪木vs国際軍団の遺恨は深まっていったのだ。

「この試合、猪木ファンは“国際ごときが猪木に楯突くな”という感じで、上から目線で見ていたんですよ。ところが、猪木が反則絡みとはいえ敗れてしまった。これまでストロング小林や大木金太郎にも勝利してきた猪木が、(新日本での)日本人対決で負けたのは、これが初めて。あそこで木村が勝ったことで、猪木ファンが本気になったんです」

猪木と木村は、約1か月後の11・5蔵前で早くも再戦。今回は猪木がリング中央でガッチリと腕ひしぎ逆十字固めを極め、木村はロープに逃げることができない。それでもギブアップだけは頑なに拒むも、見かねたセコンドがタオルを投入して猪木のTKO勝ち。

これで完全決着かと思われたが、その後も国際軍団は執拗に食い下がり、試合にたびたび乱入して猪木を襲撃。翌82年9・21大阪で組まれた猪木vs木村の敗者髪切りマッチでは、試合中に場外で浜口と寺西がハサミで猪木の髪を切り、さらに試合で敗れた木村は髪を切ることなく控室に逃走。卑怯かつ狡猾(こうかつ)な国際のやり方に、猪木ファンの憎悪は募る一方となり、83年9・21大阪で、木村が猪木の延髄斬りで完全KOされるまで、2年間にわたり抗争が続いたのだ。

「終わってみれば、あの時代のプロレスブームは、猪木の敵役としてラッシャー木村をはじめとした、あのはぐれ国際軍団の三人が支えたんですよ。当時、新日本はハンセン、シンを全日本に引き抜かれて、猪木が闘う相手がいなかった。その穴を埋める役割を十分、果たしましたから。

そして、猪木vs国際の血塗(ちまみ)れの抗争と、タイガーマスク人気の両輪によってプロレスブームは加熱したんです。子どもに人気のタイガーだけじゃ、あそこまでのブームにはなってない。タイガーと国際軍団の相乗効果の結果なんですよ。だから、国際プロレスという団体は沈没しても、団体を失った彼らの死に物狂いの闘いが、プロレス界をあそこまで盛り上げたんです」

ここからプロレス界は、力道山時代から続いた日本人vs外国人の闘いから、日本人同士の生々しい闘いが中心となっていく。背水の陣で悪に徹した好漢、はぐれ国際軍団の三人は、日本のプロレス界の流れまで変えたのである。

▲再戦では猪木がTKO勝ちを収めたが木村の執念は尽きなかった

※本記事は、堀江ガンツ​:著『闘魂と王道 -昭和プロレスの16年戦争-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。