魚のなかでも、まだまだ謎が多いとされている幼魚を採集・研究する岸壁幼魚採集家、そして今年オープンした幼魚水族館の館長としても活躍中の鈴木香里武。一般的な専門家や研究者とは全く違う新世代の魚プロデューサーは、とにかくアイデアが豊富で物事を動かす馬力がある。魚に対する愛があふれ、魚たちを輝かせるために日々邁進する。
魚プロデューサーとして魚たちの「生き様」を伝えたい
――夢のひとつであった水族館が形になりましたが、そのほかに計画していることはありますか?
鈴木 大学生の頃に既に企画書を書いていたのですが、魚とファッションを融合させたいです。動物ですと、ヒョウ柄やゼブラ柄がありますが、その魚柄バージョンです。
魚には、ものすごい種類の柄があって、それぞれ色や生態など全てにちゃんと理由があります。そういうものと自分が研究してきた心理学も紐づけたら、こういう気分のときには、この魚柄のファッションがいい、みたいなことも可能になるんじゃないかなと。その想いも込めて、ブランド名は「フィッシュフィーリング・ブランド」にしたいと考えています。
――今回のお話を伺うと、魚の研究者・専門家ではありますが、一般的な魚類学者とは少し違いますよね。もっと表現者的であるというか。
鈴木 基本的には、誰かと関わることが好きなので、全然違う考えを持った人と話して、全く新しいものを作っていくことに喜びを感じるんです。何かを突き詰めていくだけじゃなく、それをちゃんと発信したいというか。
――インプットだけじゃなく、それをアウトプットしていくタイプですね。
鈴木 はい。外国では、お茶の間と科学を結びつけるコーディネーターのような立場の人が重宝されていますが、日本はあまり確立されていないような気がします。どうしても、博士と一般の人で二分されて、つなぎ目が弱いんです。
15歳でこれまでとは違う形で魚に関わろうと考えた
――そう考えるようになったのは、いつ頃なんでしょうか?
鈴木 15歳の頃です。ワクワクする魚や海の研究はたくさんあったんですが、それが論文や学会のなかだけで紹介されている実情が、すごくもったいないなと思いました。専門家のなかだけで共有されている魅力的な情報を、とにかく世の中に伝えたいと。心理学のアプローチやコラボレーション企画も、15歳の頃に生まれたそういう想いが形になった方法のひとつです。
――お聞きしていた、ちょうど黒髪をやめたりセーラー服を着るようになった時期ですよね。15歳の頃に、いったい何があったんですか!?
鈴木 自分でも、さっぱりわからないんです(笑)。でも、みんなと同じように将来のことだったり、自分の好きなことについてだったり、いろいろ考えている内面の成長期だったとは思います。
最初の頃は、水族館の館長になりたいとか、「しんかい6500」に乗って未発見の魚を見つけたいとか、普通の魚好きの子どもと同じような夢を持っていました。でも、いろいろな専門家の方と接したり、本当に自分でやりたいことはどの職業かと考えたときに、研究者でも飼育員でも漁師でもなかったんです。であれば、自分で作るしかないと思い、岸壁幼魚採集家を名乗るようになって。
――ご自身としては「魚や海の魅力を伝える」というのが軸にはなっていて、それをしっかり実現するための方法を、いろいろ考えていたということですね。
鈴木 はい。ちゃんと伝えて広がりを作りたいんです。なので、専門的な情報も、擬人化してみたり、身近なものに例えてみたり、伝わるようなキャッチフレーズを考えたり、ありとあらゆる方向から伝わる方法を考えています。
それによって最終的に何を伝えたいかといえば、やっぱりまだ知られていない魚たちのストーリーなんですよね。僕はそれを「生き様」と呼んでいますが、魚たちの生き様を伝えたいんです。
――それはまさに、プロデューサーのお仕事ですよね。魚界の秋元康さんみたいな存在じゃないですか!
鈴木 秋元さんくらい偉大な人になりたいですけどね(笑)。でも、仰るとおりで、自分で会社やチームを作ったり、岸壁幼魚採集家として活動しているのも含めて、僕が一番やりたかったのはプロデューサー業だったんです。
いろいろな魚と別の分野を組み合わせた企画や作品を作り、そこに面白い演出を加えて、魚たちを輝かせる。そういう仕事がしたいな、という想いが根本にはありました。