打ち上げで鈴木おさむにネタ見せ直談判
もちろん、そういう私も当然のようにチャンス掴めず地底にいた。
私たちには時間しかなかった。私と篠宮さんは同い年ということもあって仲良くなり、一緒にライブをしては、打ち上げ代わりに新宿からビールを飲みながら4時間かけて歩いて帰る、という時間の貪り方をしていた。
何をどうしていいかわからず、ただ賞レースに打ち込み、そして勝てない……。「また来年頑張ろう」という無根拠の誓いだけは忘れなかった。
篠宮さんは私と一緒にバイトをするまでに落ちてくれていた。そして、先輩芸人の習慣で昼飯を奢ってくれる。時給は私のほうが高いのに。
ある日のバイトの休憩中。ゆで太郎で、とり天うどんを啜りながら、急にダジャレを言い出した篠宮さん。
「ダジャレばっかり言う漫才どうかな?」
そう言う篠宮さんの目は濁ってなかった。
私は「どうですかね~、逆に新鮮なんですかね」と先輩の気分を害さないように無意味なアドバイスをしていた。確かにナンセンスすぎて面白いと思った。ただ、芸人は笑うだろうが、お客さんは笑わないんじゃないかな、と思ったからだ。
現に、その漫才をやり出したときは、とんでもなくスベっていた。相方の高松さんに聞いても「いや、篠宮がやるって聞かなくて……。ま、何か狙いがあるんちゃう」と篠宮さんへ信頼を寄せるだけ。
どちらかといえば、仲が悪いタイプのコンビだったし、それをイジったりして笑いにするタイプだったけど、高松さんは決して相方の悪口を言わない人だった。篠宮さんがいないときでも決して言わなかった。彼らは絶妙なコンビバランスで成り立っていた。
違う日のバイトの休憩中、篠宮さんはこんなことを言い出した。
「今日よゐこさんの単独ライブあるやろ? それ見学行ったら打ち上げあるやろ? そのときに作家の鈴木おさむさんもいるやろうから、勝手に行って、スキがあったらネタしてくるわ」
天才高校生漫才師の面影なんかなかった。泥を啜ってでもバイト生活から抜け出し、どんな形であれ売れたいという、たくましい芸人の眼光の鋭さがそこにあった。
打ち上げでは実際に爆笑を取り、深夜番組のレギュラーをもぎ取った。さらにダジャレ漫才で『THE MANZAI』の決勝に行き、バイトを辞めていった。
私は、これほど格好いい芸人の背中を見たことはない。文句も言わず自分にできることを模索し、ただ圧倒的な努力を積み重ねる。