女性人気に翻弄されたオジンオズボーン

私が高校生のときの話だから、年は2000年前後。夜中に何気なくテレビを見ていた。

「天才高校生漫才師」というテロップがあり、私と同じ年くらいだろうか、幼い顔つきの爽やかな青年たちが漫才をしていた。

その名は「オジンオズボーン」。2人の輝きたるや、当時男子校で泥だらけでアメフトしていた私にとって「なんだチャラチャラしやがって」と勝手に憎むのは簡単なことだった。 

数年後、私はお笑い芸人になり、彼らと同じ事務所の後輩となって同じ舞台に立つことができた。

その頃のオジンオズボーンさんといえば、特に篠宮さんの甘いマスクもあり人気は凄まじく、ポップなリズム漫才で東京行きの切符を手にしていた。

私はといえば、当時の女性人気に特化したオジンオズボーンさんの芸風を否定することで、自分のウケないネタを正当化させていた。

でも、内心では「テレビで売れるって、こういう人なんかな」とも思っていた。

そして、さらに数年後の2009年頃、私も東京に行くことになった。『あらびき団』『爆笑レッドカーペット』といった人気番組が牽引するお笑いブームに乗っかり、いくつかのネタ番組に出演し、さあここから頑張ろう! そう思っていた。

ふと横を見ると、疲れが見えるオジンオズボーンさんがいた。

オリラジやハリセンボンよろしく、人気番組に出演し、おそらく辛酸を舐め続けたのであろうオジンオズボーン。

事務所から頂く仕事も徐々に減っていたのだろう。

篠宮さんはポップな漫才を地面に置いて、『エンタの神様』に出たいがために、金髪で顔面にド派手メイクをして、絶叫ネタをするという強行手段に打って出ていた。

非常に悪い表現だが、眩しいくらい正統派だった兄さんが登っていた階段が途中で途切れていて、また1から新しい階段を登っているように見えた。