野球においてキャッチャーというポジションは担う役割が多く、レギュラーの座を掴み取るのが難しい。一方で、その専門性から「なり手」が少ないため、たとえ控えだとしても戦力として貴重な存在である。野村克也(ヤクルト時代)、星野仙一(阪神時代)の2人の名将のもとで活躍し、「最強の二番手捕手」と称された野口寿浩氏が、その特異な地位から見ていたプロ野球の世界を語る。

「二番手」として何を考え、何をしていたか

今回、「二番手捕手」というテーマで語らせていただくことになりました。現役引退からもう干支がひとまわりするというのに、こうして「二番手捕手といえば野口寿浩」と声をかけてもらえるのですから、ありがたいことだと思っています。

早速ですが、「野口=最強の二番手捕手」というイメージは、星野さんの一言が決め手になって定着したのではないかと思います。もう20年近く前の話になりますが、2003年に阪神タイガースが優勝した直後、星野仙一監督が「野口が影のMVPだ」とコメントされたんですね。これは僕にとっても宝物のような言葉でした。

また、ヤクルトは1990年代に野村(克也)監督の下で「黄金時代」を迎えましたが、当時、僕が古田(敦也)さんの控えだったときのことを評価してもらったのかもしれません。

正直に言うと、僕だって好き好んで二番手捕手だったわけではありませんし、日本ハム在籍時はレギュラー捕手を務めていましたから、「野口=二番手」という図式に複雑な思いがないと言ったらウソになります。それでも、プロ野球選手として21年間、コーチとして2年間という僕の経験を振り返ったり、僕の考え方を述べたりすることで、プロ野球のキャッチャーというものに関心をもってもらえたらうれしいです。

レギュラーだけでなく、レギュラーを目指す二番手、三番手という選手たちが日々どんなことを考えながら、どんなことをやっているのか。二番手捕手がチームに果たす役割、影響とはどのようなものなのか。そういったことが伝えられたらと思います。

幸いなことに、僕がヤクルト、日本ハム、阪神の一軍選手として過ごした1990年代から2000年代のNPBには、ものすごい強打者や、個性的なピッチャーがたくさんいました。数々の名監督と野球をする機会もいただきました。そうした人々との思い出なども紹介していけたらと思います。

あっという間にレギュラーを掴んだ「同期の大先輩」

1989年、ドラフト外でヤクルトに入団したことから僕のプロ野球生活が始まりました。このとき、のちに僕に大きな影響を与える2人も「同期入団」しています。1人は、僕の前に不動のレギュラー捕手として立ちはだかった古田敦也さん。もう1人は、捕手とは何かを教えてくれた野村克也さんです。

高卒で入団した僕は、正直言って高校野球以外のことは何も知りませんでした。大学野球も社会人野球も、オリンピックも見てなかったので、古田さんがどれだけすごい人なのか、まったく知らなかった。

「あ、ドラフト2位で大卒社会人のキャッチャーが入っているんだな、即戦力なんだろうな……」。年齢もキャリアも違う「大先輩」ですので、そんな印象でした。

キャンプが始まると古田さんは一軍、僕は二軍なのでプレーを見ることもない。もっとも、当時の僕は自分のことで精一杯ですから、他人のプレーを見ている余裕もありません。

たまたま開幕戦が一軍、二軍とも同じ日で、僕は平塚球場の二軍戦が終わって、夜、宿舎で食事を食べ終わって、みんなでテレビの巨人戦を見ていました。古田さんはスタメンではなかったですけど、途中から出ていき、そのときに初めてプレーを見ました。

そのうち、すぐに盗塁を刺したりホームランを打ったりして、すぐにスタメンで出場するようになりました。やはり、アマチュア時代の経験が豊富なだけに、実力があるんだな。自分もこういうふうに一発でチャンスを掴まないといけないんだなと思いました。それがどんなに難しいことなのか、そのときはまだ考えてもいませんでした。