「二番手捕手」と呼ばれることに複雑な気持ちもあったと語る野口寿浩氏。しかし、もちろん二番手まで上りつめることも簡単ではなかったという。忙しい練習内容に加え、たった一つしかないキャッチャーの座をめぐる争奪戦。まだ二番手でさえなかった「修業時代」のヤクルト二軍キャンプについて、野口氏が当時を振り返ります。
ミーティングや夜間練習は監督の考え方次第
夜19時半から野村監督のミーティングがありました。ヤクルトの場合、その後、夜間練習が行われていたのですが、このあたりは監督の考え方次第です。阪神時代は、どの監督も夜間練習はありませんでした。同じヤクルトでも、現在の高津(臣吾)監督は「夜間練習はいらないからグランドで全部出し切って帰れ」という監督です。
僕も選手として21年間、複数のチームでやってきましたが、野村さんのようなミーティングをやっているところはありません。キャンプイン前日に監督がスピーチするようなのはあります。でも、それは「今年もみんなで頑張っていきましょう」みたいな当たり前な話があって、ポジションに分かれてコーチから、こういうふうにしていこうって話があって……と、そんな感じで野村さんのミーティングとはまったく別のものです。
当然、作戦に関するミーティングはあります。今年はこういう作戦を使っていくから、こういうサインを出すので頭に入れておけ。その作戦が出たときの考え方は、こういうふうにしてくれというのはありました。
一例を挙げれば、ヒットエンドランひとつでも、ヒットを打ってほしいか、ゴロを打ってほしいか、また状況で使い分けてほしいか、それぞれ監督の考え方で違います。そういう打合せ的な、本来のミーティングはあります。でも「野球とは」のようなテーマから系統立てて話すのは野村さんだけでした。
キャンプで一番忙しいのは間違いなくキャッチャー
前回、「好き好んで二番手だったわけではない」などと偉そうなことを言ってしまいましたが、実のところ二番手になるのだって、そんなに楽な話ではありません。捕手は特殊なポジションで、試合に出られるのはたった1人だけ。投手もそうですが、1試合のうちに5人も6人も代わることある投手と違って、キャッチャーは出てもせいぜい2人までです。
バッティングの良いレギュラー捕手がいるチームになると、ほぼ出ずっぱりになります。内野手や外野手のように、ダメならとなりのポジションというわけにもいきません。そのたったひとつの椅子を奪い合うのですから大変です。
とくに僕のような高卒でプロ入りした選手が、一軍の試合に出られるまでには、やらなければならないことがたくさんありました。まだ二番手ですらなかった「修業時代」、キャンプでどのように過ごしていたかを振り返ってみます。
10時から全体アップが始まるとすると、10~15分前にコーチ陣やマネージャーから連絡事項があったりするので、他のポジションの選手たちはそれに間に合うように集まります。でも、僕のような修行中のキャッチャーは、1時間以上早く宿舎を出ていました。圧倒的に練習時間が足りなかったからです。
みんなが集まる前に、さっと体を動かせる程度のアップをして、早出でバッティング練習をします。それから、みんなと合流して準備運動をしたらピッチャーと野手に分かれますので、まず野手のほうの練習に入り、午前は守備系の練習をやります。終わりはシートノックで締めることが多いのですが、キャッチャーはいなくても大丈夫ということが多いので、そのタイミングでブルペンに向かいます。
ちょうどその頃が、ピッチャー陣が投球練習を始めるタイミングになるので、そこでブルペンで捕球します。1日だいたい4人ずつくらい受けて、各投手のボールを把握していきます。球を捕っているあいだ、野手組はランチ休憩に入ったりしているんですが、僕らは球を捕っているので休憩できません。