2020年の「M-1グランプリ」に、こがけんとのコンビ・おいでやすこがで決勝進出し、準優勝となった、おいでやす小田。下積み時代が長かった彼いわく、今はさすがにノートを使ってますが、6年前くらいまでは、ネタを台本の裏紙に書いてたんですよ。裏が真っ白な紙はもったいなくて……。

裏が真っ白な紙はもったいなくてネタ帳に

「台本の裏紙なんですけど、いつかネタにつまったとき、見返すかもしれないから捨てられないんです」

6年前くらいまでは、ネタを台本の裏紙に書いてたんですよ。劇場でコーナーの台本とかをもらうんですけど、裏が真っ白なのがもったいなくて。ネタが書いてあるので、それをいまだにとっておいてるという感じですね。今はさすがにノートを使ってます。

わざわざ見返すようなことは、ほとんどないですね。でも、単独のネタがなかなか思いつかないようなときに、ちょっと見返したりするかもしれない。

だから、捨てられないんです。ピン芸人になりたてのころで、R-1ぐらんぷりの決勝に行くようになる前のネタがほとんどなんですけど、今でもやるようなネタの種になる部分は、絶対に書いてあるはずなんです。

▲裏が真っ白な紙はもったいなくてネタ帳に

劇場の一番下のランクだった9年半の思い出

ピン芸人になるまでがダメすぎて、劇場の一番下のランクのオーディションすら受からへん状況だったんですよ。西森とのコンビを解散したあと、今は吉本新喜劇にいる奥重(敦史)っていうヤツと4年半コンビを組んでたんですけど、それが解散となったときに、まわりは僕が芸人をやめると思ってたみたいです。

僕も正直、「もうムリやな……」って思ってて。ただ、続けるにしてもコンビだと相手のせいにしたり、相手のマイナス面ばかりが目についたりするので、もうひとりでやるしかないと。半年くらいピンでがんばって、悔いなくやめようっていう感じでした。その半年ぐらいも、めちゃくちゃスベってましたけど。

ゴングショー形式のオーディションでも、ひと笑いもないまま落とされて。

『ジョジョの奇妙な冒険』の(空条)承太郎漫談とかをやってたんですけど、誰にも伝わらない。当然なんですよ、当時、マニアックな人しか見てなかったオリジナルビデオの声優さんのモノマネをやってたんで。それも女子高生とかの前で……わかるわけがない。会場がエグい空気でした。

そのことを鮮明に覚えてる理由は、MCが後輩のかまいたちだったから。袖にはけるとき、二人の前を通らなアカンかったんですけど、目を合わせられなかったです。向こうは僕が先輩だということもわかってなかったと思うんですよね。ただ、「めちゃくちゃスベってる人がおるな」くらいの感じ。それがツラすぎて、今でも覚えてるんです。

結局、劇場の一番下のランクのメンバーになるまで9年半かかりました。こんなにメンバー入りが遅い芸人って、いないんじゃないですかね。劇場のMCを後輩がやってたわけですから。僕がメンバーになった頃には、先輩はいなかったと思います。

でも、逆にそれがよかったのかもしれない。後輩が愛情でイジってくれるというか、「誰やねん、知らんわ!」みたいな感じで絡んでくれたので。後輩にもよくしてもらってて、それが今につながってると思います。早々と劇場で1位とかになって、まわりがイジりにくくなるよりは、後輩からもイジられるほうがいいというか。

だから正直、当時の劇場でトップにいた後輩たち、かまいたち、天竺鼠、藤崎マーケット、ジャルジャルとかって、自分にとっては先輩みたいな感覚なんですよ。僕のほうが芸歴は上だから、向こうが先輩として扱ってくれるときもありますけど、なんか気持ち悪いですね。