出口が見えないトンネル

悲しいニュースは続いた。

名古屋のショーパブに泊まりで出演していたとき、お世話になっていた木戸さんの側近、大和さんから電話がかかってきた。なんだかイヤな予感がした。

「木戸さんが心筋梗塞で集中治療室入った。もうダメかもしれない」

木戸さんは長年、俺を応援してくれた社長さんだ。金に困ったら木戸さんに電話すれば、メシをご馳走してくれたし、帰りにタクシー代と称して数万円のお車代をくれた。飲食店を20店舗以上経営していたが、晩年はお店の経営がうまくいかず、お金に困っていたという話も聞いた。

「木戸さんが好きで飲みに来てるだけですから」と言っても、「そんな生意気は売れてから言え!」と車代を渡されない日はなかった。商売がうまくいってなくても、木戸さんはそんなことは気にしてないように振る舞ってくれた。

「お金を持ってるときのほうが、いろんなヤツが寄ってきて付き合いが大変だけど、お金がなくなると誰もいなくなるからな。今は好きなヤツと居酒屋で飲むだけでいいから気楽なもんだ」

そう笑った。おそらく半分は見栄で、半分は本音だろう。

木戸さんに一度だけご馳走をしたことがある。初めてゴールデンの人気番組『レッドカーペット』に出たときに、居酒屋の会計を俺が支払ったら、とても喜んでくれた。

「いろんなヤツにメシを食わしてきたけど、奢られたのは初めてだ」

そう言って、子どもみたいに喜んでくれた。そんな木戸さんが、奇しくも父親と同じ心筋梗塞で集中治療室にいる。祈るような気持ちでいたが、大和さんからまた電話が鳴る。

「今、木戸さんが亡くなった」

電話を切ってからも、しばらく涙が止まらず何もできなかった。俺は自宅でテレビをぼーっと見つめた。なんの恩返しもできないまま、また1人、恩人が亡くなってしまった。俺はこうやってどんどん歳をとり、恩人や仲間を失い、売れないまま死んでいくのだろうか。

葬式で初めて木戸さんの奥様に挨拶をした。すると、奥様は俯いていた顔をさっと上げて俺の顔をじっと見た。

「いつも主人からお名前は聞いていました。あいつがいついつテレビに出るから録画しておけって、いつもうれしそうに喋っていましたよ」

奥様は少しだけ笑顔を浮かべたようにも見えた。それを聞いてふたたび涙が止まらなかった。恩返ししたいときに、恩人はなし。歯痒い思いを抱えた俺のトンネルの出口は、まだまだ見つかりそうもなかった。

(構成:キンマサタカ)

『TAIGA晩成 ~史上初! 売れてない芸人自伝~』は、次回12/30(金)更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
TAIGA(たいが)
1975年生まれ。神奈川県出身。2005年『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』(フジテレビ)、2009年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、2009年の『あらびき団』(TBS)、2014年の『R-1』決勝進出でプチブレイク。下積み時代が続く中、2020年の『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』(中京テレビ)、2021年の『アメトーーク!』(テレビ朝日)出演で再ブレイクの予感がする47歳。Twitter:@TAIGAtrendy