2022年​​12月7日、ドイツ国内でクーデターを計画していた疑いがあるとして、ドイツ警察は25人を逮捕しました。逮捕者の多くは、陰謀論である「Qアノン」の信奉者であったようです。ヨーロッパのなかでは治安も安定し、経済も豊かであるドイツで起きたクーデタ未遂事件は、多くの人々に驚きを持って受け止められました。

このクーデターで思い出すのが、悪名高い独裁者であるアドルフ・ヒトラーが主導した「ミュンヘン一揆」です。1923年11月に起きたクーデターは失敗に終わりますが、ヒトラー躍進のきっかけになる事件でもあります。「ミュンヘン一揆からヒトラーはどのように独裁者になったのか?」をテーマにして、今回はヒトラーの歴史に迫りたいと思います。

ヒトラーと第一次世界大戦後のドイツ

第一次世界大戦に敗れたドイツは、1919年6月28日、ヴェルサイユ条約によって屈辱的な仕打ちを受けることになります。多額の賠償金を課せられ、植民地は没収、軍隊も解散させられました。ドイツの経済、そしてドイツ人の精神(プライド)はボロボロの状態です。

ちなみにヴェルサイユ条約によって課せられた賠償金ですが、ドイツは2010年に完済しました。条約から92年が経過し、ようやく払い終えたことになります。

第一次世界大戦後、ドイツ軍に所属していたヒトラーは、ドイツ国内で危険な政治運動をおこなうグループを調査する任務を受け持っていました。「ある政治グループが集会をおこなう」という情報を入手したヒトラーは、潜入調査のため集会に参加することになります。この政治グループこそが「ナチス」だったのです。

▲アドルフ・ヒトラー 写真:Bundesarchiv, Bild 183-H1216-0500-002 / CC-BY-SA

集会は討論形式だったため、積極的に発言を繰り返したヒトラーに、あるナチス幹部が「演説をしてみないか?」と持ち掛けます。演説の経験もなかったヒトラーですが、彼の演説は連日大盛況をおさめ、ナチスの人気はうなぎ登り。そしてヒトラーは、あれよあれよという間に、ナチスの党首になってしまいました。

党首になったばかりのヒトラーは、当時のドイツ政府を転覆させるクーデターを計画します。ミュンヘンで武装組織を結成し、ドイツ政府があるベルリンに進軍するシナリオです。これが1923年11月の「ミュンヘン一揆」になります。しかし、ヒトラーが期待していた軍関係者の協力を得ることができなかったため、結局は失敗してしまうのです。

ミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは逃亡しますが、逮捕されてしまい、翌年(1924年)に裁判にかけられます。しかし、この裁判によって、ヒトラーの名前は全国に知れ渡ることになるのです。

独裁者としての歩みをはじめるヒトラー

裁判において検事は、ミュンヘン一揆の責任者(犯罪者)について、ヒトラーに質問します。これに対して、彼はこう答えました。

「責任者はアドルフ・ヒトラーただ1人である。そして私は犯罪者ではない、愛国者である。偉大なドイツの精神を取り戻すために立ち上がっただけなのだ」

第一次世界大戦に敗北し、ボロボロだったドイツ社会の現状に対して、多くの人々が不満を持っていました。ヒトラーの言葉は、ドイツ人の心を代弁したものでもあり、裁判官ですらヒトラーに魅了されてしまいました。

裁判を担当した検事の1人は、ヒトラーについてこう述べています。

「失われたドイツの精神を回復させようとするヒトラーのひたむきな努力は、1つの功績である。演説家としての才能を駆使して意義あることを達成した」

裁判の結果、ヒトラーには禁錮5年の判決が下されました。刑務所では特別な待遇を受け、この時期にヒトラーは『我が闘争』を執筆しています。ナチス幹部との面会も自由におこなえたそうです。そしてわずか1年余りで、ヒトラーは釈放されています。

▲ランツベルク刑務所でのヒトラーと幹部(1924年) 写真:パブリックドメイン

ミュンヘン一揆以降、ナチスは暴力革命路線から現実路線に切り替えます。選挙によって議席を獲得し、社会変革を目指すスタイルに変化させたのです。

1929年の世界恐慌によって、ますます混沌とするドイツの社会状況を利用し、ナチスは勢力を拡大します。1931年に行われた国政選挙において、ナチスは第1党を獲得。ナチスの人気を無視できなかった当時の大統領ヒンデンブルクは、1933年1月にヒトラーを首相として任命します。

その翌月(2月)には、国会議事堂炎上事件が発生します。ヒトラーは、この事件の責任を反対派である共産党などに押し付け、ナチスに批判的だった勢力を国会から追放します。3月には「全権委任法」が成立。名前の通り「“全”ての“権利”をナチスに“委任”する」という内容です。国会に敵対勢力はもういません。ヒトラーは独裁への準備を着々と進めていくのです。

そして8月、ヒンデンブルク大統領の死去と同時に、ヒトラーは大統領と首相の職務を合体させた「総統(フューラー)」に就任。独裁者としてヒトラーが完成することになります。

社会が不安定なとき、人々は極端な思想(物語)を求めます。「陰謀論」が蔓延する現代社会は、ヒトラーが登場した時代背景に近付いているかもしれません。