12月21日、ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカを電撃訪問しました。今回の訪米を受けて、ペロシ米下院議長は各国会議員に宛てた書簡で、このように述べました。
「1941年12月、ウィンストン・チャーチルはアメリカ議会を訪れ、ヨーロッパで起きている戦争への支援を呼び掛けました。81年後、戦時下にある別の英雄的指導者を迎えられることは、とても感慨深いです」
81年前にアメリカを訪れたのは、第二次世界大戦を指揮していたイギリス首相ウィストン・チャーチルです。アメリカのメディアも、戦時下の指導者であるゼレンスキーが訪米するのはチャーチル以来の出来事である、と伝えています。
第二次世界大戦中のチャーチルは、なぜアメリカを訪問したのでしょうか? 今回は「第二次世界大戦」の歴史を振り返りたいと思います。
第二次世界大戦の参加していなかったアメリカ
今回、ペロシ議員が言及したチャーチルの訪米は、1941年12月22日から開催された「アルカディア会談」を意味します。当初、チャーチルの渡米は極秘だったため、暗号であるギリシャ語の地名が用いられました。
このアルカディア会談までの歴史的な流れを振り返りましょう。
1939年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。第二次世界大戦が始まります。1940年6月、ドイツ軍はフランスのパリを占領し、7月からはイギリスに空爆を開始します。主戦場であるヨーロッパは一進一退の状況が続き、チャーチルはギリギリのところで、なんとか踏ん張っていました。
この事態を受けてチャーチルは、アメリカの第二次世界大戦への参戦をしきりに訴えます。開戦当時、アメリカは第二次世界大戦には参加していませんでした。しかし、チャーチルの要請を受けても、アメリカはなかなか重い腰をあげません。
当時のアメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトは、1940年11月におこなわれた自身の大統領選挙で「第二次世界大戦には参戦しない」ことを選挙公約にしていたからです。ローズヴェルト大統領としては参戦したい気持ちはあるのですが、自らの公約が自分の首を絞める格好になってしまいました。
ちなみに、フランクリン・ローズヴェルトは大統領を「4期(12年間)」務めています。アメリカ大統領の任期は「2期(8年間)」が慣例になっていましたが、第二次世界大戦という特例が適用されました。アメリカの歴史で、大統領を12年間も続けたのは彼だけです。第二次世界大戦後、大統領の任期は「2期まで」とする内容が、憲法に明記されるようになりました。
1941年3月、ローズヴェルト大統領は「レンドリース法(武器貸与法)」を成立させて、イギリスへの支援を鮮明にします。ナチス・ドイツの躍進を受けて、アメリカとして何もしないわけにはいきません。8月には、チャーチルと共に「大西洋憲章」を発表。ナチス・ドイツなど「ファシズム国家」と戦う「連合国」を結成します。アメリカは第二次世界大戦に参戦するための、明確な“口実”を待つだけの状況でした。
アメリカ参戦のきっかけを作った真珠湾攻撃
そして1941年12月7日、日本による真珠湾攻撃を受けるのです。アメリカとしては「待ってました!」となります。日本軍の攻撃によってアメリカ国民の気持ちは、第二次世界大戦への参戦に大きく傾きます。太平洋戦争の開始を受け、ローズヴェルト大統領は第二次世界大戦の参戦を決断。結果として日本が、アメリカ参戦への流れを作ってしまったのです。
アメリカ参戦の報告を受け、チャーチルは渡米。12月22日、今後の方向性を話し合う「アルカディア会談」がワシントンでおこなわれます。翌年(1942年)1月1日の「連合国共同宣言」によって、アメリカの第二次世界大戦の参戦が正式に発表されたのです。また、世界各国に対して連合国への参加が呼び掛けられました。
1945年8月、第二次世界大戦は日本の降伏によって終了。10月には大西洋憲章を骨子とした「国際連合」が結成されます。常任理事国はアメリカ・イギリス・フランス・ソ連(ロシア)・中国になり、まさに第二次世界大戦の勝者によって構成されたメンバーです。
連合国を英語にすると「United Nations」で、国際連合も「United Nations」になります。第二次世界大戦の勝者によって作られた国際秩序が国際連合であり、現在も続いています。しかし、近年の国際情勢(米中対立やウクライナ侵攻など)を考慮すると、国際連合という秩序が、もはや機能していないことは、誰の目からも明らかです。
今回のゼレンスキー訪米を受けて、バイデン政権がチャーチルを引用したことは「アメリカは今後もウクライナへの支援を継続、強化する」というメッセージになります。今年(2022年)11月の中間選挙でトランプ(共和党)の躍進を阻止できたことも、民主党が支援を加速させる要因でもあります。
平和なクリスマスを送ることができなかったウクライナの人々……。戦争の早期集結を望むばかりです。