ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、プーチン大統領はこれまで、ウクライナ侵攻について「“戦争”ではなくウクライナの非軍事化などをはかる“特別軍事作戦”」と主張していましたが、先ごろ行われたモスクワのフォーラムにて、プーチン大統領の側近の一人、キリエンコ大統領府第一副長官は「NATO(北大西洋条約機構)はロシアと戦争をしている」と、初めて“戦争”の2文字を口にしました。

そもそも、今回のウクライナ侵攻の根本には、NATO加盟問題など国際政治の背景よりも、プーチンが「妄想の歴史観」に囚われていることが原因としてあるのではないか、と歴史学者で40回近くウクライナを訪問した経験のある岡部芳彦氏は語ります。

※本記事は、岡部芳彦​:著『本当のウクライナ -訪問35回以上、指導者たちと直接会ってわかったこと-』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

プーチンにとってウクライナは「国」ではない?

2022年5月9日に赤の広場で行われた対独戦勝記念日の式典で、プーチン大統領は次のように述べました。

「キエフ」は核兵器取得の可能性を表明した。くわえてNATO加盟国は、わが国に隣接する地域の積極的な軍事開発を始めた。このようにして、われわれにとって絶対に受け入れがたい脅威が、計画的に、しかも国境の間近に作り出されたのだ。アメリカとそれを取り巻くネオナチ、バンデーラ主義者との衝突は避けられないと、あらゆることが示唆していたのだ。

「バンデーラ主義者」が、スヴォボーダや、同じくマイダン革命に参加した極右勢力の右派セクターのことを指しているのであれば、ウクライナの中央政界に彼らの影響力は全くありません。

また仮に、その「バンデーラ主義者」よりもウクライナ社会全体が民族主義化したと主張したとしても(僕はそうは思いませんが)、原因はロシアによるクリミア占領、東ウクライナへの軍事介入にあるのは誰にでもわかります。

では、なぜプーチン大統領はこのようなバカげた主張をするのでしょうか。僕は「妄想の歴史観」が原因ではないかと考えています。

この演説では、ウクライナのことを「キエフ」と言いました。ウクライナの政権を指す場合に使われる言葉ではあるのですが、プーチン大統領にとって、ウクライナは「国」ですらないのかもしれません。

▲戦死者に花を手向けるプーチン大統領(2022年6月) 写真: Kremlin.ru / Wikimedia Commons

「ウクライナをナチスから解放する」という妄想

ロシア・東欧研究の第一人者として知られるティモシー・スナイダーは、近年、プーチン大統領が、20世紀前半のイヴァン・イリインなどの「ファシスト思想家」の本を読みふけって、陰謀史観にのめり込んでいると指摘しています。

イリインは「ウクライナ人がロシアという有機体の外にある、別個の存在であること」を否定しています。この思想の影響が、ロシアの軍事行動の背景の一つと考えてもいいぐらいではないでしょうか。

真偽はわかりませんが、2008年4月のルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会談で、プーチンはジョージ・W・ブッシュ米大統領に「ウクライナは本当の国ではない」と語ったと、ロシアメディアで報じられたことがあります。その後も似たような主張を繰り返しており、かなり早い段階から今のウクライナ観につながる考えを持っていたようです。

もし一言で、今回なぜロシアがウクライナを侵略したのかを述べよと言われれば、僕は「NATO加盟問題など国際政治の背景よりも、プーチンが〈妄想の歴史観〉を背景に、ただウクライナを自分のものにしたかっただけ」と答えています。

これは僕の以前からの持論で、2月24日直後からメディアでも一貫して話していて、今でもその考えは変わりません。またそれは、フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟しようとしているのに、プーチン大統領やロシア政府が、対ウクライナのように軍事行動はとらず、ロシア西部に軍事基地を構築することを表明する程度であることからも、それは裏付けられます。

2014年のクリミア占領による誤った成功体験が、東ウクライナへの軍事介入へとつながりました。一方、クリミア占領ほどはうまく進まず、ロシア国内への説明や自身の行動を正当化する手段として「東ウクライナのロシア語を話すロシア系住民に対するジェノサイド」が行われているというナラティブ(物語)が生まれ、今回の「ウクライナをナチスから解放する」との妄想へとつながっていったのです。

▲「ウクライナをナチスから解放する」という妄想 イメージ:IngusK / PIXTA

そして今、そのプロパガンダが拡散した結果、誤った「正義」を信じ切った多くのロシア国民を前に、「ウクライナの非ナチ化」という偽りの金看板を外すことすらできず、国内を沈静化させる術を失いつつあるようにも見えます。

じつは2月24日以降、僕が国内外のメディアで発信している姿をSNSなどで見たロシアの複数の友人知人から「なぜウクライナのナチストの味方をするのか?」というメッセージが来ました。

なかには「恥を知れ!」的な内容もありました。悲しくなり「なぜナチスだと思うのか教えて」と返事をすると、決まってYouTubeにアップされたウクライナの極右勢力がナチス風の松明行進をしたり、暴れまわる様子がうまくまとめられたプロパガンダ動画のリンクが送られてきました。

彼らは普段は極端なところは全くない「普通の人々」です。このとき、僕が子どもの頃に流行ったアニメ『機動戦士ガンダム』の「悲しいけど、これ戦争なのよね」というセリフを思い出しました。

戦争は普通の人々を熱狂的な愛国者に変え、「非友好国」民の言うことに聞く耳を持たなくなるのも、普通のことなのかもしれないと感じました。