映画『SCORE』(1995)は業界で話題になり評価されたものの、興行成績は振るわなかったという苦い経験を経て、劇場公開する主演映画は撮っていなかったのだが、その記録がついに破られた。“還暦記念”アクション主演映画『BAD CITY』である。

OZAWAとしてオリジナル脚本・製作総指揮を手がけたばかりでなく、企画段階から携わって、撮影コーディネートまでこなした。メインとなる劇場は因縁の新宿ピカデリー。

▲新作映画『BAD CITY』では主演から裏方まで手掛けた

失敗を乗り越えた数が多い奴が最後は勝つ。俺はめげない

「絶対にあのときの悔しい思いを晴らしてやる」と意気軒昂だ。「映画『SCORE』の苦しさがあったから、今がある。うまくいかなくてよかった。あのまま、うまくいっていたら、この内にあるグツグツしたものがなくて、俺は消えていたかもしれない。人生って面白いよね。何がどう転ぶかわからない。失敗を乗り越えた数が多い奴が最後は勝つ。俺はめげないよ」

『BAD CITY』では100人以上相手に、CGなし、スタントなしのアクションを見せている。

「『SCORE』みたいな奇跡を作り上げるエネルギーは、まだ残っているのか。体力的にアクションはもう無理なのか。チャレンジしてみよう。そう思っていたのに、まだまだやれるって気づいた。

撮影のために特別に何かやったことはほとんどないけど、もう何十年も喧嘩してないから、殴るリアリティのために、1年間、人の形のサンドバッグをぶん殴ってた。これが大事。撮影後、マウントを取って殴っている自分の後ろ姿の映像を見て、確信した。格闘家のようだったね(笑)。役者が現場で『こういう段取りです』って教わって、その通りやっているだけではリアリティなんて出ないからね」

▲『BAD CITY』では100人以上相手にCG、スタントなしのアクションに挑んだ

ちなみに体は普段から鍛えているが、それは決して、仕事のためではないと断言する。

「うら若い乙女と歩いていて、パトロンや父親に間違えられないために腹が出ないように鍛えてる。動機が不純なほど長続きするのよ。作品のためだったら、撮影が終わった途端、元に戻っちゃう。誰が車にはねられたり、高いところから飛ぶために、重いベンチプレスをあげる?」

ただ、仕事でやることは体が勝手に覚えているそう。

「俺はベロベロに酔っ払って2階から落ちても、受身をとって普通に立ち上がるらしいからね。自分は酔っていてよく覚えてないけど、みんながそう証言する。カーブを曲がってきたタクシーにはねられたときも、朝起きたら体が痛くて。ヤマ(山口祥行)が『兄ぃ、昨日タクシーにはねられてましたよ。でも、タクシーの上に立ってたから大丈夫かなと思って』って(笑)」

長い付き合いのある山口祥行は『BAD CITY』にも宿敵役で出演。絆がさらに深まったのかと思えば、今回の小沢の本気モードが彼には少々、トラウマになったらしい。

「ヤマとの対決が最終日の中洲ロケだったんだけど、俺はその前日から『お前、明日、ぶっ殺すからな。殺される覚悟で来いよ。それがイヤなら殺しに来い』ってアクションを超えた気持ちでいるわけ。ヤマとのアクションには、殺陣が決まってないフリーの部分があって、ヤマは『俺を殺す気か! 誰か止めてくれ。この巨大なマントヒヒを』って(笑)。

やらなきゃ、やられる。ヤマとは長いけど、あんな顔は見たことがない。『映画を見ると具合が悪くなるから、もう見たくない』って。二度と俺とアクションはやりたくないらしいよ」

▲日々鍛えているから、多少のアクシデントは何でもない!

劇中で小沢は、そのスピード感から、若手でさえ躊躇するTAK∴とも渡り合っている。

「キャストたちが俺のノリに共鳴してくれて、その響きがスタッフも含め全体に広がっていった。俺一人ではできないこと。でも、みんなにまず火をつけるのは俺だから。そういうときの俺はアドレナリンが相当に出てる。どんなアクションをやっても全く疲れないし、全然、眠くならない」

尋常ではない体力は、昔からだそう。

「昔、海外ロケで5日間中、3日間徹夜してたら、向こうのスタッフが『もう無理』って言い出したことがあった。でも、俺は寝たら止まっちゃうから、そのままさらに2日間、寝ずにドッカンドッカンやって。クランクアップしたときは本当にそのまま、『あしたのジョー』みたいな形で寝てた(笑)。自分で言うのもなんだけど、スイッチ入ったときの俺はヤバい。そのことしか考えてない。とにかくブルドーザーのように前に突き進むのみ」