年間1000本以上のお笑いライブを企画し、若手芸人の活躍の場を提供する株式会社K-PRO。その代表を務めるのが、約20年イベントの主催を続けている児島気奈だ。

小さな頃からお笑いの魅力にハマっていた彼女は、今年の10月に好きなことで食べていきたい人に向けて『笑って稼ぐ仕事術 お笑いライブ制作K-PROの流儀』(文藝春秋)を発表している。自分自身が「好き」なお笑いを仕事にした経緯や、お笑いライブシーンのこれからについて、ニュースクランチがインタビューした。

▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <株式会社K-PRO代表・児島気奈>

お笑いの道に送り出してくれた父親

――幼少期は、どのようなお子さんでしたか?

児島 親がペンキ屋として自営業をしていたので、1階がお店で2階が家の環境で育ちました。学校から帰ったら親がいて、たまに子どもたちとお店で遊んで、昭和時代の下町を感じる家でしたね。お笑いを好きになったのは、父親の影響も大きかったと思います。

親戚同士のカラオケ大会では、一番最初に手を上げて歌って、面白いことをして盛り上げる父親の姿を見ていました。コント55号が大好きな親だったので、子どもの頃からバラエティ番組を家族みんなで見てました。

――お笑い好きになる素養があったんですね。

児島 反抗期のときも、部屋にこもってお笑い番組を見て、録画したやつを自分で編集していました。ジョビジョバさんのかっこよさに惹かれて、さらにお笑いに深く入り込んでいた頃、友達に誘われてお笑いライブのスタッフを始めることになりました。

父親にお笑いライブの手伝いに行くと話したら「門限とかアルバイト代の使い道は自由にしていいから、どんどん外に出ろ」と言ってくれたんです。ライブの手伝いで朝に帰るようなことがあっても、しっかり活動しているなら構わないと言ってくれて。親が私のやることを喜んでくれただけでなく、信用してくれたのが、今の仕事を始めた一番大きな理由だと思います。

――児島さんは小中高と演劇部だったんですよね。人前で表現することの魅力について知りながら、なぜ裏方のスタッフとしての仕事を選んだのでしょうか?

児島 学校の演劇部では舞台に立っていましたけど、とにかくテレビを見ていたので、自分でわかるんですよね。演技力ないなとか、間が悪いなとか(笑)。

――では、タイミングによっては、別の裏方、例えば放送作家のような仕事をやっていた可能性も?

児島 出会い方によっては、作家に惚れていた可能性はあったかもしれません。でも、当時の私は見えている世界が狭すぎて、最初に知ったお笑いライブしかなかったんですよ。少し話はそれますが、私、お笑いトリオのフラミンゴの立ち上げメンバーの1人だったんです。

※『爆笑オンエアバトル』などに出演していた辻本耕志、竹森千人、吉田ウーロン太によるトリオ。現在は個々に役者として活躍中。

――え! そうだったんですか。

児島 そうなんです。活動のなかでメンバーからは外れてしまったのですが、もしかしたら、ずっとフラミンゴに付いて、制作をやっていく人になっていた可能性はあったかもしれません。

芸人の夢を叶えられる存在になりたい

――お笑いライブ制作者を目指す人が増えたような気がしています。それでも、児島さんのようにきちんと仕事として成立できているのは少ない。そのような方々との違いを、どのように捉えていますか?

児島 一番の違いは、怒られても続けているかどうかだと思います。私、めちゃくちゃ怒られてるっていう自負があるので。事務所さんにも怒られ、芸人さんにも怒られ、後輩スタッフにも怒られてきました。怒られながらライブを続けるって、我ながら相当なお笑い好きだと思っています(笑)。

活動を始めたばかりの頃は、劇場を借りるときも「本当にお金払えるの?」って言われるところからのスタートでした。今はお笑いライブが認知されて、劇場もお笑い芸人に優しくなりましたよね。

――当時あったことをしっかり記憶しているのがすごいですね。褒められたことも怒られたことも、忙しいなかで覚えておくのは難しいと思います。

児島 私も「頑張ってるから褒めてください!」ってタイプですけど、それでも怒ってくれる人がいることのありがたさは感じています。でも、今の時代、芸人さんやスタッフも含めて、怒ったらやめてしまう人が多いのかもしれませんね。

なので、今の時代を見ていて感じるのは、もっと怒られた経験をプラスにして頑張ってほしいということです。もちろん、全部をプラスにする必要はありません。私も怒られて根に持っていることはありますし(笑)。

――(笑)。発売された本では、お笑いライブの作り方を詳しく書いてますよね。予算や仕組みなど丁寧に書いた理由を知りたいです。

児島 それは、お客さんと芸人さんに、K-PROがこれまでしてきた道筋を見せて、理解してもらいたいと思ったんです。先輩のライブ主催者の方からは「笑いでお金を稼ぐのは、何よりも良くない。芸人さんはこんなに苦労しているのに、芸人さんのファンからいただくお金で稼ぐのは、事務所からしてもマイナスだ」と言われていて。

だけど、それでも仕事にしていかなければ! と強く思ったことがあったんです。あるとき、父親から「長く続けてはいるけど、この状態だと趣味のままだからね」と言われたんです。たしかに、その頃は赤字をみんなのバイト代で補填して、楽しかったねで終わっていたんです。

それで、これからプロの芸人さんと本気でやっていくのであれば、会社として成り立たせることが大切だと思い直しました。そのためにも、道筋がしっかりした会社だと理解してほしい気持ちがあって、この本を書いたんです。

――現場では、芸人さんとスタッフで意見が対立することもあるのではと思います。そういったとき、児島さんはどのような指針で、どちら側の意見を尊重するかを決めますか?

児島 私は“芸人さんがやりたいことをやろう”という考えを持っています。「絶対に赤字だ」とか「お客さんが集まらない」と言われたとしても、芸人さんがやりたいことを尊重したい。

立ち上げ当時にお世話になった村田渚さん(フォークダンスDE成子坂)が、コントライブをやりたいと案を出してくれていたのですが、実現せずに亡くなられてしまった経験があります。そのとき、芸人さんが「やりたい!」って言ったことは、お金より優先して叶えてあげたいと思ったんです。

――児島さんのなかで、印象に残っているライブはありますか?

児島 お客さんと鬼ヶ島の野田さんを舞台上にあげて、磁石の永沢さんが客席で見るってライブをしたことがあります(笑)。

――あはははは!

児島 そういう変なコンセプトのライブは、やっぱり印象に残りますね。芸人さんの思いつきをもとにしたライブって、プロダクションのマネージャー主導でやるには大変だと思うんです。そこの部分に手を貸して、すぐに実現するための動けるスタッフであり続けたいですね。