「わたし、夢みないんだよね」なんていう人、ときどきいますよね(実はあなたも?)。けれど、実際には誰もが毎晩、夢をみていることが既に科学的に実証されているんです! このように既存の思い込みを一気にくつがえすような夢の研究はかなり進んでいて、面白い事実が続々と判明してきています。そこで、1万人の夢を研究してきた最前線の研究者・松田英子氏にいろいろ教えてもらいました。

※本記事は、松田英子:著『1万人の夢を分析した研究者が教える 今すぐ眠りたくなる夢の話』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

睡眠と夢に関する間違った思い込み

そもそも夢とは記憶情報の処理過程のことで、私たちは毎晩、複数の夢をみています。「実は(誰でも)毎日、夢をみているんですよ」というと、多くの方が驚かれます。

覚えている頻度は人によってさまざまですが、夢の記憶は儚いもので「夢をみたことを覚えていない」、あるいは「思い出そうとしたけれど忘れてしまった」ということも多いでしょう。

1年に1回ぐらいしか夢をみない、というような人もいますが、みていないのではなく、ほとんどの場合、覚えていないだけです。

自分はあまり夢をみないという方でも、実験室で眠ってもらい、ちょうど夢をみている時間に起こせば、ほとんどの人がその内容を報告できます。そんな方にとっては「うそ! 本当に夢をみていたんだ!」と、これもまた驚きの体験のようです。

▲睡眠と夢に関する間違った思い込み イメージ:mits / PIXTA

睡眠や夢の体験は、自分に起こったことながら正確に把握することが難しいものです。

不眠症の患者さんが「あんまり眠れなかった、ツラい」と訴えるものの、実験ではきちんと眠っている時間が確認されるなど、主観的体験と客観的データの乖離はよくあることで、これを「睡眠状態誤認」といいます。

また「8時間睡眠が一番健康によい」「子どもにはお昼寝が重要」との神話的な思い込みもありますが、これらを一律で守ろうとすることにはあまり意味がありません。もともとの性質や日中の活動量などによって、必要な睡眠時間には個人差があるからです。

とくに日本の保育園のお昼寝は大人の事情によるもので、必要のない子を無理に寝させることは夜間睡眠の質を下げると「お昼寝撲滅運動」をしている先生方もいます。

そして、夢については人と共有することや比較することが少ないためか、自分の夢をみるペース、つまり覚えているペースが普通だと思い込んでいる人が多いです。ひと晩にいくつも悪夢をみていることでおツラいという方が「ほかの方もそうだと思っていました」とおっしゃったときには「そうかー」と驚くとともに納得しました。

このように、自分の体験であっても睡眠や夢について正確にとらえているか。また、それらの体験が誰にでも共通性のあるものなのかどうかは、調べてみないとわからないのです。

夢はパーソナリティを反映するからおもしろい

ドイツの有名な夢研究者シュレードルによれば、客観的評価では、ポジティブな感情が“優勢”な夢をみる確率が21.1%、ネガティブな感情が“優勢”な夢をみる確率は56.4%、感情をともなわない夢をみる確率が13.5%、感情のバランスがとれた夢をみる確率は9.0%です。

自己評価とのズレはあるでしょうが、ネガティブな感情の夢が多い点は共通しています。

夢はいつも同じではなく、忘れ去ってしまった夢から、楽しい夢、焦る夢、飛び起きるような悪夢、ストレスによるPTSDの悪夢まで、いろいろな階層があります。また、心の健康の度合いのみならず、年代による差や成長にともなう変化など生涯発達やパーソナリティも反映するので、知れば知るほど本当におもしろいのです。

みる夢の内容には、パーソナリティ(性格の個人差)や、いまの感情、気にしていることが関わってきます。

夢の想起(思い出すこと)は、一生涯を通して男性より女性が多く、青年期をピークとして、年齢とともに減少してきますが、老年期などは個人差が大きく、とても鮮明な夢を想起する人とそうでない人に分かれます。

▲夢はパーソナリティを反映するからおもしろい イラスト:VECTORIUM / PIXTA

ひと晩にみた夢を私に3~6個ほど教えてくださったインフォーマント(資料提供者)は、80代の男性Hさんです。Hさんはお若いころから夢が鮮明で、明晰夢体験もあり、夢の記録をつけていた時期もおありだったそうなので、習慣化されているのかもしれません。

またパーソナリティでは「アーティスティックでクリエイティブな開放性の高い性格の人」「曖昧さに対する耐性が高い人」が、豊かな夢を想起します。

みた夢の内容によって、その人の記憶の構造がわかる。すなわち、その人の歴史がなんとなくわかるときが、夢の調査をしていて一番おもしろいと感じる瞬間です。対面でお会いしたことのない方でも、その方の人生に一瞬ふれられるような気持ちになります。