ギラギラして怖かった猪木と打ち解けたきっかけ
――初対面で「怖い」という印象があった猪木さんと、距離が縮まっていったきっかけはあるんですか?
原 タイガーマスクにいろいろあった頃〔1983年、漫画『タイガーマスク』原作者の梶原一騎が逮捕され、佐山聡を新キャラクターに代えるプランが新日内で浮上した〕、猪木さんは何かアイデアを探してたんでしょうね。みんなを呼んで「現実的じゃなくてもいいから、なんでも言ってみろ」って。そして、僕らが好き勝手に言うのをずーっと聞いてるわけですよ。その会議が終わると「じゃあ、また1週間後」となって、次の週に行くとまた朝まで話すんです。
――『猪木』を読むと、夢のようなプランがたくさん紹介されていました。原さんは「タイガーマスクの覆面をロケットで宇宙に飛ばし、それが戻ってくると違うデザインになっていて、新キャラクターが誕生する」というプランを提案したそうですね。
原 そうそう。現実的なものはほとんどないですけど、猪木さんはそれを聞いて楽しんでいた。結局、そのなかで使ったものは何もないんですけど。
――タイガーマスクが新日を退団したからですよね。
原 猪木さんと距離が縮まったといえば、そのへんの80年代前半ぐらいですね。古舘伊知郎さんみたいなおしゃべりもいるし、ほとんどみんな友達だから面白かったんだと思います。
――私がイメージする猪木さんの友達といえば、原さんと古舘さんと村松さんが思い浮かびます。
原 私はただいるだけだから、友達じゃないですけどね。村松さんは友達かもしれない。
――いやいや(笑)。猪木さんのパブリックイメージというと、やはり「元気ですかー!」があります。太陽のように明るく、率先してしゃべる人。普段の猪木さんもそんな感じなんですか?
原 どっちかって言うと、聞き役ですよ。で、興味のある話だけちょっと突っ込む。講演会とかだとしゃべりますけど、知人といるときはそんなに自分からしゃべらないです。あと、プロレスの話はしないですね。
――私の印象なんですけど、猪木さんが「プロレスが好き」って言ったことないんじゃないですかね(笑)。
原 いや、好きでしょ。好きだけど「嫌い」って言うんですよ。好きじゃなきゃやんないでしょ。
――自分の印象だと「プロレス? 早くやめてぇな」とか、そんなことばかり言ってたイメージがあります(笑)。
原 晩年はそれが多かったですけど、プロレスは本当は大好きでしょ。でも「嫌い」って言うんですよ。というのは、好きなように見せると、みんなずーっとプロレスの話をするから(笑)。ちょっと面倒くさかったんじゃないのかな? 知らない人が来て聞けば、ちゃんと対応はしてくれます。
――「プロレスLOVE」という言葉がありますが、そういう発信とは正反対ですね。
原 LOVEじゃないですね。LOVEじゃないけど、プロレスをもっとすごく見せたいと思ってたんじゃないでしょうか。もっと広げて、地位を上げたいみたいな。
猪木さんと一緒にいてもほとんど話さなかった
――原さんは“聞き役”の猪木さんと、どういう会話をされていたんでしょうか?
原 あまりしないですよ。猪木さんが議員の頃、旅をしながら半年以上も一緒にいたこともありました。飛行機は一緒、ホテルも一緒、食事も一緒だけれど、ほとんど話さない(笑)。で、ただ寝ちゃうみたいな。そこでいい寝顔だったら、写真を撮ったりとか(笑)。で、気がついて「あ、撮ってんな」ってなるんだけど、また寝ちゃう。逆に、寝てるときが一番いい顔してましたよね。
――猪木さんってサービス精神があるから気を遣ってしゃべりそうですけど、原さんの前だったら無言でもOKだったんですね。
原 何か本当に興味があることだけ、言ってくることはありますけどね。前日にテレビだったり誰かから聞いた話に興味を持ったら、それは話してきます。ロシアがウクライナに侵攻したときは、プーチンとの接点を話してくれました。プーチンが若いとき、会ったことがあるみたいなんです。
――えっ、そうなんですか!
原 KGBのもっと上の人と会ってるとき、付属的に若きプーチンがいた……みたいなことを経験してるみたい。猪木さんは「プーチンはお茶汲みをしてたよ」と言ってたけど、お茶汲みはしねえだろうなと思って(笑)。
――ハハハハ! おそらく、レッドブル軍団の頃ですかね?
原 あれよりちょっとあとって言ってましたね。ゴルバチョフじゃなくてエリツィンの頃だって。猪木さんはソ連と長かったから。
――ユーリ・アルバチャコフを呼んでた頃ですかね。
原 はい、そうです。ユーリを呼んできて。