初めて女系天皇に踏み込むことを宣言した小泉内閣

こうしたなかで平成13年5月15日、雅子皇太子妃殿下のご懐妊が発表されました。お生まれになる子が男子であれば、何も考えなくて良い状況です。しかし、女の子だった場合、どうするのか。

将来、内親王殿下が皇族の方と結婚して生まれたお子さんが天皇になるのであれば、なんの問題もないのですが、そうした皇族の方が存在しないから、問題なわけです。

同年の12月1日、愛子内親王が生誕されました。愛子内親王が天皇となること自体は、愛子内親王は男系女子であり、先例がありますから問題はありません。ただし、生涯独身でおられることになります。あるいは、皇族の方以外の一般人と結婚されるとすれば、お子様が生まれても、男子だろうと女子だろうと、その子は天皇にはなれません。

▲生後3か月の愛子内親王 写真:外務省ホームページ / Wikimedia Commons

このままでは皇室が途絶えてしまうことになる、皇位の女系継承を容認しなければならないのではないか。というのが、当時の小泉内閣の危機感でした。これが、女帝のみならず女系を認めなければならないという主張の起きた理由です。

事は、愛子内親王殿下がお生まれになる前、雅子妃殿下がご懐妊中から、進められました。

小泉内閣の福田康夫官房長官が、雅子妃殿下(現在の皇后陛下)がご懐妊中に「解釈改憲」を行いました。憲法第二条で定められた「皇位の世襲」は男系に限ると解釈されてきたのですが、平成13(2001)年6月8日の衆議院内閣委員会で、男系および女系の両方の系統を含むものと考える、と答弁したのです。

日本国憲法 第二条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

では、皇室典範には、どのように書いてあるでしょうか。

皇室典範 第一条
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

日本国憲法どころか、大日本帝国憲法以前から、皇位の男系継承は我が国の歴史そのものです。大日本帝国憲法はその歴史の確認をしたにすぎないとの立場です。そして、憲法改正により典範改正はできないこととされていました。

大日本帝国憲法 第七十四条
皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス

つまり、一時の多数決で、皇室の伝統をいじってはならないと規定していたのです。同時に、皇室典範が憲法の上にあるわけではないともしました。皇室の家法である皇室典範と国家の最高法である帝国憲法は、対等であり、不可侵である。これを「典憲体制」と言います。

今の憲法二条も、帝国憲法の第二条を受け継いでいます。

大日本帝国憲法 第二条
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

ここに言う「皇男子孫」とは、帝国憲法と皇室典範を執筆した伊藤博文による解説書である『憲法義解』には「皇男子孫とは祖宗の皇統に於ける男系の男子を謂う」と明記されています。日本国憲法は、大日本帝国憲法以前の歴史を受け継いだ規定となっています。明文で女帝を禁止した内容なのも同じです。

ただし、現行憲法の皇室典範は、憲法と対等ではなく、下位法です。小泉内閣は、女帝を復活するのみならず、史上初めて女系天皇に踏み込むことを宣言したのです。