トルコの危機を救ったムスタファ・ケマル
14世紀に誕生し、20世紀初めまで存続したオスマン帝国。18世紀以降、ヨーロッパ諸国の介入、権力内部の腐敗などによって少しずつ国力を失っていきます。そして、1914年に起きた第一次世界大戦の敗北によって、オスマン帝国は最大の危機に直面するのです。
第一次世界大戦後の1920年8月、オスマン帝国はセーヴル条約を締結します。「大幅な領土の縮小」「国家主権の侵害」など、不平等条約の内容は過酷なものでした。条約に納得ができない国民の後押しを受け、指導者となったムスタファ・ケマルはスルタン制を廃止します。1922年11月、この廃止を受けてオスマン帝国は滅亡したのです。
そして、改めてセーヴル条約の調印を拒否。条約の拒否によって、オスマン帝国に攻めてきた軍の撃退にもケマルは成功します。1923年7月、対等な条約であるローザンヌ条約を結び直し、領土と国家主権の回復を実現したのです。
同年10月、ケマルはトルコ共和国の成立を宣言し、大胆な改革を断行します。イスラム教による宗教的支配から、政治・文化・教育などを解放して西欧化、政教分離を目指したのです。文字はアラビア語を廃止して、ローマ字を基本にしたトルコ語を制定。一夫多妻制を禁止して一夫一婦制とし、女性のチャドル(顔を隠すヴェール)を廃止するなど、女性の権利を解放しました。
オスマン帝国からトルコ共和国へ、という難しい課題を見事に成功させたケマルは「トルコ人の父」を意味する「アタチュルク」とも呼ばれています。
ヨーロッパとアジアの中央に位置し、地政学的にも重要なポジションにあるトルコ。NATO(北大西洋条約機構)の主要メンバーを務めるなど、その重要性は今も変わりません。ウクライナに侵攻したロシアへの仲介役、棚上げされている欧州連合(EU)の加盟問題など、トルコはこれからの世界に重要な影響を与える存在なのです。
地震の被害が拡大しないこと、そして1日も早い復旧・復興を祈りつつ、イラク・イラン戦争における日本人救出の恩を、今こそお返しすべきではないでしょうか。