学生から始めたコミュニティーFMまわり

幼少期から映画が好きだった有村は、その頃どんな将来を夢を見ていたのか。

「時代劇の俳優さんに一時、憧れてましたね。武田信玄とか独眼竜正宗など、NHKの大河ドラマを見て夢中になって。高校時代になると、音楽にも興味を持って、自分で曲を作ってました。デスクトップミュージックを200曲以上。その頃は、ちょっと上の世代でTMネットワークとか、同世代でaccessとか。スコアブックを買ってきて、ベースライン、ドラム、ストリングス、ピアノ、全部完コピしてやってましたね」

高校まではミュージシャンを志していた有村。大学では演劇をやっていた。

「結局、表に出たいという気持ちがずっと強いんですよね。シンガーソングライターも目指してたし、進学した玉川大学では芸術学科で演劇を専攻してました。ただその頃は、わりと思想が強めというか、仮想敵を作ってそこに向かって、みたいな芝居が僕の周りでは主流だったんです。僕としては劇団四季とか、ああいうザ・エンタメ! みたいなお芝居がやりたかったし、メッセージを伝えるなら、誰かの言葉じゃなくて、自分の言葉で伝えたかったから、ちょっと違うなって」

その頃、有村の友人がやっていることが目に止まった。

「『かつしかFM』で友達がラジオDJやってて、すごく楽しそうで。“え! どうやればなれるの?”って言ったら、“簡単だよ、すぐなれるよ、でもギャラなんて出ればいいほうで、出ても雀の涙だけどね”って。たしかに、ほぼノーギャラに近かったけど、すごく楽しくて。大学出てからも、ずっとコミュニティーFM荒らしみたいな感じで、かつしかFM、むさしのFM、中央エフエム、FM調布、大学卒業した頃は4局でレギュラーを持たせてもらいました。自分でプロフィールを作って、手当たり次第に撒きまくりましたね」

ラジオは映画に特化したものではなく、いわゆるラジオDJ。自分でメールテーマを決めたり、曲紹介をしたり、いわゆるお昼のラジオパーソナリティーを想像してほしい、と有村は言う。

「“映画コメンテーター有村昆”って肩書、僕はすごくうれしいんですけど、それよりも僕の中では、パーソナリティー有村昆である、という思いが強いです。ラジオの軽いトークが好きで、でもそれだけだとテレビに出られないから、何か武器を作らないと!ってところで“映画を語れる”って武器を見つけたので」

▲パーソナリティー有村昆でありたい

「だから土壇場と言っても、本当あのスキャンダルしか思い浮かばないんですよね……」と有村は苦笑する。

「僕は自分のことを回遊魚だと思ってるんです、同じところも含めて、いろいろなところをゆらゆら泳ぐ回遊魚。たまたま家が裕福だったので、おぼっちゃんキャラでテレビも出たし、夫婦でもテレビに出させてもらいました​。このあと、浮気、離婚でイメージが地に落ちてしまうんですが…​。

ラジオDJって、プライベートで起きたことは全て話さないといけないし、イジられることを許容しないといけない。20年くらいの芸能生活ですけど、それがタレントなのかって思い始めてますね、最近」

取材で伺ったとき、有村が颯爽とスパイダーマン柄のテスラで登場して、笑ってしまった。こんなにわかりやすく目立ちたい、そしてともすれば“反省していない”と言われそうなことを、どうして進んでするのか。

「あとで、あのテスラの前で写真撮りましょうか?(笑) というのも、日々ネタ探しで、日常に面白いことが転がっていると思ってるんです。あのテスラもそう、僕が好きな車と映画をカスタムしたものです。前はデロリアンを買いました。反省はしてるんですがね、笑いものになるのは仕方ない。​楽しいですよ、趣味を仕事に変えていけるのは」