NHK大河ドラマ『どうする家康』の第8回「三河一揆でどうする!」が放送されました。ストーリーは、前回から家康三大危機の1つである「三河一向一揆」編に突入しています。三河にある仏教勢力「一向宗」が年貢を納めないことに、家康は頭を悩ませていました。ドラマでは家康が実態を調査するため、農民を装って本證寺に潜入するというシーンが描かれていましたが、そこで住職の空誓が集まった民衆の前で話し始めます。

「世の中が貧しいのは、武士が戦ばかりしているせいだ」

空誓はこのように言い、武士を批判したのです。彼の主張は一見すると、もっともらしい主張に聞こえます。物価が高騰しているにも関わらず、増税ばかりが続く現代人の感覚からすると“確かに武士のせいかも……”と思ってしまいます。

しかし、なぜ寺には食料が豊富にあり、贅沢な生活ができるのでしょうか。その理由は、当時の仏教勢力が「やりたい放題」だったからです。

家康だけではなく、信長も比叡山延暦寺や石山本願寺といった仏教勢力と激しく対立しています。このとき寺への焼き討ちなどをしたことが、信長の人気を下げる要因にもなっています。

今回の記事では、当時の仏教勢力が絶大な力を持っていた背景について説明します。また、なぜ家康や信長は彼らと激しい戦いを繰り広げたのでしょうか。その理由にも触れたいと思います。

▲比叡山延暦寺 写真:shimanto / PIXTA

経済を独占していた仏教勢力

現在の私たちが抱いている「お寺」のイメージは、僧侶たちはニコニコしていて、“心の平穏と平和を説いている”という印象でしょうか。しかし、戦国時代における寺の実態は大きく異なります。彼らは強大な軍事力を持ち、豊富な資金力も備えていたのです。

「遣隋使」「遣唐使」という言葉は、学校で聞いたことがあると思います。「僧侶たちは中国に留学して、仏教を学んできた」と教科書には書かれています。しかし、僧侶たちが学んできたのは仏教だけではありません。

当時の中国は、世界で最も文明が発達した地域になります。建築技術や薬の作り方など、最先端技術も学んできたのです。その持ち帰った技術を寺はどうしたのでしょうか。

寺には商品を大量生産したり、流通させる手段はないため、商人たちに高額で販売したのです。商品を生産する技術料(ライセンス料)を継続的に徴収することで、寺は莫大な利益を得ていました。

また、その技術が広く社会に流通してしまうと、技術料が安くなるため販売量を限定します。寺は「座」を作り、加盟料を要求しました。座に加入した商人にしか技術を売らず、また作らせなかったのです。

戦国時代の社会を大きく支えていた商品として「油」があります。当時、油は照明用として利用されていました。当時の油は「荏胡麻(エゴマ)」という植物から作られていました。荏胡麻を栽培して、その種を絞るだけなので、一度覚えてしまえば誰でも作ることができます。

しかし、寺に対してライセンス料を支払わなければ、油を製造することは許されませんでした。もし勝手に製造などしていたら、寺が所有する軍隊が押し寄せ、最悪の場合は殺されてしまいます。ほとんどの工業製品にはライセンス料が付帯されていたため、自由に商品を作ることができなかったのです。

▲荏胡麻(エゴマ) 写真:Nishihama / PIXTA

寺の要求はそれだけではありません。商人や農民は商品(農作物)を売るため、人が集まる市場に持っていく必要があります。市場に行くときには「関所」を通らなくてはいけませんが、寺は関所も管理しており、商人や農民から通行料も巻き上げていたのです。さらに市場で商品を販売する場所にも、テナント代(市代)としてお金を要求しました。

商人や農民たちの負担は大きく、元を取るためには商品(農作物)の値段を上げるしかありません。そのため物価は高騰し、経済は停滞します。人々は貧しい生活を送らざるを得なかったのです。大河ドラマのなかで本證寺の空誓は、貧しさの責任を武士たち押し付けていましたが、仏教勢力も大きく加担していたのが実態になります。