3月5日に放送された『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送)のゲストコーナー「浜さん家のリビングルーム」に、歴史家・作家の濱田浩一郎さんが出演。大河ドラマ『どうする家康』で注目を集める徳川家康に降りかかった「三大危機」について解説した。

死の淵に立たされた「家康三大危機」

「やわらかな朝の日ざしにつつまれて……」と浜さんの優しい声で番組が始まる。徳川家を描いた大河ドラマは23年ぶり、今年の『どうする家康』について聞かれた濱田さんは「老若男女、誰でも楽しめるファミリードラマになっている」と感想を話した。

そして、寺島アナウンサーから「家康三大危機」について、それぞれどのようなものだったのかを解説してほしいと番組は進んでいった。

1.三河一向一揆

今川家から独立し、地元・三河で国づくりに邁進していた家康のもとに降りかかった第一の危機が三河一向一揆。「一向一揆」とは、一向宗(浄土真宗本願寺派)の信徒たちが起こした抵抗運動のことだ。三河の国にも、有力な浄土真宗の寺が多数存在していたのだという。

濱田さんは、この一揆が家康三大危機の一つに数えられる理由として、家康の親族や家臣までもが一向宗の味方についてしまったことを挙げた。一向宗をはじめとした当時の宗教勢力は、時には中立を守らず敵対関係にある大名の支援に回ってしまうため、その土地を治める戦国大名にとっては厄介で恐るべき存在だったのだ。

この危機を乗り越えるため、家康は自軍が優勢となった段階で一向宗に和平を持ちかけた。それも「一揆の参加者を許す」「特権を与える」「寺や信者を前と同じように扱う」と、一向宗にとってかなり有利な条件で。

和議を結び、これにて一件落着かと思いきや、家康は寺の破壊や信者への改宗を求めたのだそう。当然、一向宗からは「前と同じように扱う約束だろう」と反発の声が上がるが、それに対して家康は「この寺がある場所も昔は野原だった。前と同じようにするためにこの寺を破壊しろ」と言って、言葉巧みな謀略で一向一揆を鎮めたのであった。

2.三方ヶ原の戦い

1560年代、家康の前に立ちはだかった強敵・武田信玄。もともと打倒今川家という共通の目的があった二人だったが、家康との国境線の約束を破るなど、信玄は徐々にプレッシャーを強めてきたそうだ。

濱田さんによると「家康にとって、武田信玄とは油断ならない強敵」だったという。そして、実際に家康は信玄の手によって滅亡寸前まで追い込まれてしまうのだ。

信玄vs信長の前哨戦ともいえる三方ヶ原の戦いで、信玄に完敗を喫した家康は命からがら浜松城に帰還。武田側が3万の兵を引き連れてきたのに対し、家康は8千と兵力の差は一目瞭然。

しかし、家康は武芸の鍛錬を日々欠かさず行っていたため、浜松城への道中は馬の上から敵を矢で射りながら逃げることができた。また、戦への入念な準備を忘れなかったため、家康は戦死せず生還できたのだ。

3.伊賀越え

本能寺の変で織田信長が明智光秀によって討たれたことを知った家康。信長と同盟を組んでいた家康は、身の危険を感じて伊賀の山々を超えて三河に戻ろうとする。

家康は、土豪や農民による落武者狩りの危険に晒されながら、山を抜けることに。これが家康三大危機の三つ目・伊賀越えである。家康は有力な武将のため、光秀のもとに首を持ち帰れば恩賞も弾む。それだけに家康を狙う者は多かったと考えられる。

▲頼りになる家臣と力を合わせて家康の戦いは続く イラスト:稲村毛玉

これ以外にも、家康にはさまざまな危機が降りかかるが、最終的には天下人として江戸幕府を開くことになる。その要因として濱田さんは「運」、そして「健康」というキーワードも挙げていた。

最後に浜さんから「忘れられないあの味」について聞かれると、濱田さんの故郷(兵庫県相生市)の近隣である姫路の銘菓「玉椿」を紹介。江戸時代から続く老舗の和菓子ということを聞いた浜さんは「ほんとに歴史がお好きなんですね」と笑ってゲストコーナーは終了した。