自衛官時代に研修で訪れた民間企業には「戦略」が欠如していた。組織には戦略という“柱”が必要であることを、多くの日本企業の経営陣はあまり気づいていない(重視していない)のではないか。陸上自衛隊の幹部として、さまざまな現場でチームを指揮してきた小川清史氏は、フォロワー(部下)やチームメイトの自主積極性を引き出すのは“数字”ではなく“言葉”の力だと指摘します。

※本記事は、小川清史:著『組織・チーム・ビジネスを勝ちに導く 「作戦術」思考』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

研修先で自衛隊と民間企業との違いを感じた

私が陸上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程の学生2年目だった1993年、民間企業へ研修に行く機会がありました。バブル期の直後のことです。自衛隊内だけで隊員の教育を完結させるのではなく、経済の世界で戦っている民間企業からも積極的に学ぶことを目的とした研修だったと記憶しています。

おそらく、学生に民間の組織を比較対象として経験学習をさせることで、自衛隊という、ある意味“特殊な組織”への理解を深めさせようとする狙いもあったのでしょう。

研修先は、食品メーカー、大手ゼネコン、電気メーカー、服飾産業、輸送会社、総合商社、広告業、出版社などさまざまで、研修先の民間企業約30社に、学生各2~3名が参加しました。当時、指揮幕僚課程の学生は80名ほどいましたが、その全員がいずれかの企業に研修に行きました。

私の研修先は老舗のアパレル企業で、当時は確か3つか4つほどのブランドを展開していたと思います。私のほかに、先輩・後輩が1名ずつ、合計3名で参加しました。

研修期間は2週間。最初の2日ほどは、みんな一緒に本社で会社の概要について学びました。3日目以降くらいから、私たちは各支店に配属され研修を受けました。私は本社で、デザイナーと販売員のチームが新製品を製造する過程を学んだり、バーゲンセールに出す商品を倉庫から取り出して会場に並べるのを手伝ったりしました。

職場は活気があり、どちらかというと大学祭のような雰囲気でした。当時のこの会社の重役クラスは、同じ大学の同じ運動クラブ出身の方々で占められていたそうなので、自然と社内もそういう文化になっていったのかもしれません。

オフィスは比較的広くてきれいでした。そのアパレル企業の持ちビルだと聞いた記憶があります。地下に自動販売機があり、従業員は自ら自動販売機で飲み物を購入するのが普通でした。当時の自衛隊では、伝令(指揮官の身の回りの世話をする係)がお客様用のお茶をいれたり、上司にお茶を運んだりしていたので、自分で飲み物を買いに行くのは民主的で非常にいいなと思いました。

▲研修先で自衛隊と民間企業との違いを感じた イメージ:Mai / PIXTA

あるとき、デザイナーと販売部など6名ほどのチームで、新作を検討する企画会議を見学させてもらう機会がありました。従業員モデルが新作のスカートを試着して、それをチームで審議するというものでした。「会議」といっても、極めてラフで気さくなものです。

ただ、そのときに私が気にかかったのは、今後、自分たちの会社のブランドをどうしていきたいか、といった「戦略」に関する話題が一切出てこなかったことです。何をもって「戦略」とするかは厳密に定義するのは難しいのですが、ここでは「未来をより良いものに変えるために、今後どうするか」というビジョンとそれを達成する方法・手段だととらえてください。

すなわち、その企画会議では、ターゲットとする年齢層や階層、その人たちが自社の服を着た際のイメージなどはまったく話題にならず、「新作はこんな形の服がいいんじゃないかな」「少しスカートが短くて色っぽすぎかな」といった話ばかりでした。

プロジェクトチームのメンバーそれぞれが、おのおの好きな服を作り、仲間内のチェックだけ受けて、自社のブランドとして市場に売り出そうとしていたという印象です。会議参加者が当時の市場の動向をどのように見ていたかも、会議の会話内容からはよくわかりませんでした。

私はそうした「戦略なき企画会議」に、やや違和感を覚えながらも、そのときはただ“民間企業のプロジェクトとはこういうものなのかな”と思っていました。一方で、厳格な上位下達が主流だった当時の自衛隊と比較して、気軽に意見が言い合える雰囲気は非常にうらやましいと感じていたことも覚えています。