お笑いコンビ・あわよくばの西木ファビアン勇貫が、短編小説集『きょうも芸の夢をみる』(ヨシモトブックス)を上梓した。この本は、芸人たちのリアルな悲喜交々を紡いだショートショート(短編小説集)。現役芸人だからこそ描けるリアルな漫才やコントを交えながら、芸人の青春を一冊に綴っている。

又吉直樹も推薦するファビアンは、一度コンビを解散したあとに執筆を開始。渋谷ショートショートコンテスト優秀賞、小鳥書房文学賞などを受賞しているのだが、今回は文章を書くようになった経緯、影響を受けた物事や人、芸人としてこれまで悩んできたこと、先輩であるピース又吉との出会いや現在の関係までインタビューした。

▲西木ファビアン勇貫(あわよくば)

ネタ作ってきたから文章を書けるようになった

――『きょうも芸の夢をみる』を書くことになったきっかけを教えてください。

ファビアン コロナ禍で劇場とかの出番がなくなって、周りの芸人も自分にできることを探してて。屋敷(ニューヨーク)が版画をしたりとか、誰かがエッセイを書いたり、そうしたなかで、“自分はお客さんに何ができるかな”と考えたときに、これまでちょこちょこやってた執筆に力を入れようと思って、Twitterの毎日更新を始めたんです。それがきっかけですね。

――それは、あわよくば解散の頃ですか?

ファビアン 解散して、再結成した頃ですね。

――なぜ文章を書こうと思ったんですか?

ファビアン これは初めて喋るんですけど、1〜2年目の頃に神保町花月で芝居の予定がめっちゃ入ってたんです。稽古は夜中で、芸人同士で3週間ぐらい一緒に過ごすんですけど、ニブンノゴの宮地さん、ポイズン(POISON GIRL BAND)の吉田さんが書いた脚本のお芝居に出たときに、それがめっちゃおもしろくて、“芸人は頑張ったら、こんなん作れるようになるんか!”って衝撃を受けたんです。

それからネタを書く側として、こういうの作れるようにならないといけないっていう意識が、ずっとどこかにあったんだと思います。そして、それからかなり月日が経ち、仲良くさせてもらってる又吉さんが『火花』を出して、“やっぱ何かを作らないといけないんだな”っていうのは、どこかにずっとあって……でも“能力的にこんなん作れんわ”とずっと思ってたんです。

――なるほど。それが変わったのは?

ファビアン ネタをどんどん作っていくにあたって、“これは面白いな”と思っても、漫才とかコントにできないことが増えてきたんです。自分の中で、“たぶん、これを漫才にしてもウケへんな”とか、“コントにしても表現が難しいな”ってわかるようになってきた。というのは、たぶん自分の感度やキャッチするものが広くなってきたからだと思うんですけど。それを“どうやったらうまく表現できるかな”と思ったときに文章があった、という感じです。

――たしかに漫才ってなると可能性は大きいけど、伝えづらかったりすることってありますね。

ファビアン そうなんですよ、漫才もコントも、笑い声が起きないとスベったことになっちゃうんで(笑)。映画は見ても笑わないけど、おもしろいじゃないですか。なんか、自分はそっち寄りなんだろうなって思うことが多くて。で、そのときにショートショートの存在を知ったんです。

それで“なんかネタっぽいし書けそうだな”と思って、5本ぐらい書いたんですよ。それをオズワルドの伊藤とかに見てもらったら「おもろいっすね」みたいになって。で、これをどこか応募する先はないのかなと思ったら、沖縄映画祭の映画企画コンペティションがあったので、それで書いてみたら完成できたんです。

――もともと文章を読むのは好きだったんですか?

ファビアン 全然です。むしろ書くほうが先でした。それから読むようになりましたね。読まないと、この先太刀打ちできないわ!って(笑)。

――(笑)。先日、オズワルドの伊藤さんにインタビューさせていただいたんですけど、伊藤さんのエッセイって自分の言葉で書かれてるから「何か本を読んでますか?」って聞いたら、「マジで小学校の頃に東野圭吾を読んだだけ、自分の言葉でしか書き方がわかんなくて、だから僕は小説は書けない」と謙遜かもしれませんが、おっしゃっていて。

ファビアン 言いたいことはわかる気がします。

――小説とエッセイで形は違えど、ファビアンさんの本も自分の言葉で書かれてるなって思ったんです。最後にオチがあるのがショートショートだと思われがちなんですけど、オチ以外のところでもちゃんと起承転結があって。何かに影響を受けていたりするんですか?

ファビアン 影響を受けてるって言ったら、もう……吉本にって感じですね(笑)。ネタ作ってきたら書けるようになったみたいな感覚なんです。