毎週日曜日に放送されるたびに、大きな注目を集めるNHK大河ドラマ『どうする家康』。第13回の「家康、都へゆく」では、古田新太さんが演じる室町幕府の足利義昭が登場、明智光秀や浅井長政などの重要人物たちが次々と登場しました。後半では浅井長政がお市に信長を裏切ることを告げましたが、歴史を知っている私たちとしては、このあと起こる信長による凄惨な仕打ちがどう描かれるのかも気なるところです。

さて一方で、大人気マンガ『キングダム』の実写版映画の第3弾が7月に公開予定です。実写版で吉沢亮さんが演じている嬴政(えいせい)は、中国の歴史上で初めて中華統一を成し遂げた人物。世界史の教科書など、一般的には「始皇帝」と呼ばれています。

時代と地域は異なりますが、戦いに明け暮れる世を終結させて新しい時代をもたらしたところなど、織田信長と始皇帝には多くの共通点があります。しかし、その一方で残酷さを示す記録も多く残っているのが実情です。そこで今回は、2人の残酷なエピソードを紹介したいと思います。

織田信長の深い愛情が憎しみへと変わる

信長の残虐性を象徴する事例としては、比叡山延暦寺の焼き討ちなど仏教勢力との対立がしばしば指摘されます。

しかし、信長から残虐な仕打ちを受けたのは、寺(仏教勢力)だけではありません。かつては同盟を結び、固い絆で結ばれた浅井長政とその一族に対して、信長は異常な残酷さを見せているのです。

▲姉川古戦場 写真:俺の空 / PIXTA

1560年代、京都への上洛を目指す信長は、近江国(現在の滋賀県)を本拠地とする浅井長政と同盟を結びます。そして信長はなんと妹であるお市を、妻として長政に差し出しているのです。いかに長政を信頼していたのかがわかります。今回のドラマでは、北川景子さんがお市を演じていますね。

元亀元年(1570年)、信長は敵対する朝倉義景を落とすため、越前国(現在の福井県)を攻めます。「金ヶ崎の戦い」と呼ばれ、徳川家康も参加しています。このとき長政は信長との同盟を破棄、進軍する織田軍に奇襲を仕掛けたのです。信長の生涯でもっとも危ない場面でしたが、信長はなんとか逃げ切ることに成功します。

長政に裏切られた信長の怒りはとても深いものでした。天正元年(1573年)、信長は長政のいる小谷城を攻め、追い詰められた長政は自害します。このとき長政は、妻であるお市と娘3人を逃しており、最後まで男気を貫いています。

長政の切腹によって浅井家は滅亡しましたが、信長の憎しみは浅井一族にまで向かい、残酷な方法で処刑しています。お市の子ではありませんが、長政の長男であった万福丸を串刺しで殺害。長政の母である小野殿に対しては、なんと両手の指を毎日1本ずつ切り落として、苦しめるだけ苦しめて殺しました。

そして、長政の首を回収してドクロにし、その頭頂部を盃に加工して、酒を飲んだとも言われています。さすがに信長の部下たちも引いたそうです。

信長の対応は極めて残酷であり、狂気すら感じてしまいます。その理由として長政への愛情に対する裏返しだった、という指摘があります。信長にとって、長政は心を許せる数少ない親友でした。その長政に裏切られたことで、大きな心の傷を受けたのでしょう。

信長が長政と同盟を結んだ最初の頃、信長はわずかな家来だけを連れて、長政の館を訪問したことがあります。同盟関係にあるとはいえ、リスクのある不用心な行為だと言えるでしょう。

実際に、長政の家来のなかには「せっかくのチャンスだから、信長を討ち取ってしまいましょう」と耳打ちする者もいたそうです。しかし、長政はそんな家来を叱り飛ばしたと言われています。長政とお市の夫婦仲が順調だったこともありますが、このときの長政は“義”を貫きました。

「長政と生涯を共に生きるはずだったのに…」。金ヶ崎の戦いで信長を裏切るように指示した親族の責任は大きいという感情が、残酷な処刑につながったのではないかと言われています。