大河ドラマ『どうする家康』の放送により、その人物像が再注目されている徳川家康。そんな家康の波乱万丈な生涯を、歴史家・濱田浩一郎氏が最新研究をもとに書いた『家康クライシス』が発売されている。

今回は、濱田浩一郎氏に『どうする家康』や前作『鎌倉殿の13人』について、また再解釈されている歴史上の出来事など、歴史について気になるアレコレをインタビューしました。

祖父の影響を強く受けて歴史家の道へ

――歴史に興味を持ったキッカケについて教えてください。

濱田浩一郎(以下、濱田) 歴史に興味を持ち始めたのは、小学4年生くらいのことです。祖父が大河ドラマを見ていまして、その頃に見ていたのが、奥州藤原氏を描いた『炎立つ』や、日野富子が主人公の『花の乱』でした。それを一緒に見るようになって、歴史が面白いなと思いました。

――大河ドラマから歴史の世界に入っていったんですね。

濱田 はい。それから歴史に興味を持ち出して、祖父に十数巻セットの歴史マンガを買ってもらって読むようになりました。小学6年生の卒業文集には、すでに「将来の夢は歴史家です」と書いてました。中学生になった頃は、祖父の勧めで司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』を読んで幕末の志士の生き様に感動して、さらに歴史に対する思いが深まりました。将来は歴史家になりたいという思いが、より強くなったんです。

――歴史を好きになる過程には、いつもおじいさんがいたんですね。「歴史家になりたい」と言ったときにはどんな反応だったんですか?

濱田 祖父母ともに「なかなか難しいことだと思うけど、夢が叶うといいね」くらいの感じでしたね。祖父には中学、高校に上がってからも歴史小説だったり普通の文庫本だったり、いろいろ買ってもらった思い出がありますね。

――皇學館大学に進学されたとのことですが、何か決め手があったんでしょうか?

濱田 そうですね、これにも祖父が出てくるんですが…(笑)。たしか、祖父の中学校か高校のときの担任の先生が、皇學館大学の前身である神宮皇學館の出身だったようで、漢文の先生だったらしいんです。戦後も今も皇學館には歴史系の先生が勢ぞろいで、歴史を学ぶにはいい環境だったので、進路相談のときに志望校として考えてみたらどうだという話があって。なるほど、ということで受験した感じですね。

――大学に入ってからはどうでしたか?

濱田 ありがたいことに、入学してすぐに指導教員の先生に顔を覚えてもらいまして。大学院生向けに開いている研究会にもたくさん参加させていただいて、中世の古文書をひたすら読んでましたね。研究をメインに活動している院生の先輩方と知り合えて、大学生の早い段階から自分のやりたいことについて考えることができたのは、とてもいい経験になりましたね。

――さすがに大学に入ってすぐに古文書は読めないですよね?

濱田 そうですね、研究会以外でも自分で図書館にある古文書集をコピーして、自分で読み解きながら習得していきました。

――すんなりと覚えられましたか?

濱田 すぐには読めるようにならなかったです。それに英語とかと一緒で、日々読んでいないとなかなか定着しないので、原本を読む機会が減った今は、大学生の頃よりも古文書の原本を読むパワーは下がってるかもしれません。昔のほうがバンバン読んでいた気がします(笑)。

――大学院にいる頃に、すでに本も出されていたとか。

濱田 博士課程の1年生ですね。『播磨 赤松一族』(新人物往来社)です。その前に『兵庫県の不思議事典』(同社刊)を共著で書いていて、新人物往来社さんとご縁ができまして。播磨赤松氏の研究をしていることを知ってもらいまして「赤松氏に関する本を単著で書いてみないか」と声をかけていただきました。たしか修士課程の2年生くらいから書き始めました。

▲『播磨 赤松一族』(新人物往来社:刊)

――声がかかったとき、どんなリアクションを?

濱田 まさか自分に、しかも大学院生の身分であるにも関わらず依頼が来るなんて意外、というかびっくりという感情が先に立ちました。果たして自分に本が執筆できるのかという不安感もありましたし…… 。

――今まで何冊も書かれていますが、やっぱり初めての単著となると時間もかかりましたか?

濱田 半年以上…… 1年くらいはかかりました。京都まで写真を撮りに行ったりとか、城跡を巡ってそこで写真を撮ったり。時間をかけましたね。

――おじいさんはどんな反応でしたか?

濱田 僕が本を執筆できるとは思ってもないような感じで。本当に本を出せたら逆立ちして歩いてやるくらいの感じでした(笑)。いざ出版したら「ああそうか」って。

――サラッとしてますね(笑)。でも、すごく喜んでくださったでしょうね。

濱田 本心ではそうだったかもしれませんね。