時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】1週間後のデビュー2戦目に備え、巡業を外れ道場で集中特訓をすることになったアンドレ。その前に、非日常のお祭りムードに喜ぶ観客の嬉しそうな顔を野外興行で見て、心が揺さぶられる。さらに、先輩たちに対する自分の思いがプロレスそのものへの愛着へ変わっていることにも気づく。

「期待の新人」としての重圧

これは「やっぱり」となるのだろうか。特訓2日目、たろ太郎先輩が巡業先の温海町に向かったあと、日向先輩が変わった。

表面的な態度というか、ぼくとの接し方は悪意があるようには見えない。ただ、2人になるや、すべての練習ノルマが倍になった。

通常の数でさえキツいのに、いきなり2倍もやらされたら…これは、先にデビューしたぼくへの嫌がらせなのか、それとも短期集中特訓だからこそ心を鬼にし、指導してくれているのか。

日向先輩は口数が少なく、あまり感情を顔に出さないタイプらしい。デビュー戦を棒に振ってしまい泣きじゃくる姿を見て、先輩たちが「あいつのああいうところ、初めて見たよな」と言っていた。

そんな日向さんだから、真意がわからなかった。最初は絶対にいじめだと思ったが、もしかするとたろ太郎先輩に命じられた特別メニューをやらせているだけかもしれない。

道場では課せられたことをこなそう。それしか考えないようにした。一日中、特定の人と同じ空間に2人でいるのは気を遣うけれど、トレーニングに集中すれば忘れられる。

夜になると、ぼくがちゃんこを作る。といっても料理の仕方は全然覚えられていないから、日向先輩が横について言われるがままに材料を切り、鍋に入れていくだけだ。

2人で黙々と晩飯。日向さんは「しょうゆ取って」とか、必要最低限のことしか言わない。食事後は、たろ太郎先輩から「これを見ておけ」と渡されたビデオテープを鑑賞。合宿所に置いてある大量のコレクションの中から集めたアンドレ・ザ・ジャイアントの試合映像だった。

何試合か見たけど圧倒的にデカく、圧倒的に強いためほとんどが同じ展開。でも、たろ太郎さんはそういうところよりも何気ない仕草や、どんなことをやった時に観客が沸いているかを研究するために、用意してくれたのだろう。

それを見ているうちに深夜となり、巡業からみんなが戻ってくる。一番下のぼくが先に寝たら大目玉だ。日向先輩とともに玄関まで出て「お疲れ様でした!」と迎える。

そんな毎日が5日続いた。正直その間、自分がどれほど強くなったのか、あるいはどれほどアンドレっぽくなれたのかはまるでわからない。

仙台の前日は興行がなく、午前中から道場で合同練習がおこなわれた。ずっと倍の数をこなしてきたことで、みんなと一緒にやるペースだと楽に感じられた。

夕方、練習が終了。神棚に向かい正座し、一同礼。一息ついたところで、合宿所へ来ていたテッドさんが顔を出し「井之上、アンドレ、ちょっと来い」とぼくらを呼んだ。

そのままシャッターの向こうに出る。8月も終わりに近づくと、すず虫やこおろぎの鳴き声が草むらから聞こえてくる。

「アンドレ、明日の仙台の相手は井之上だ」

それが何を意味するのかはすぐにわかった。井之上先輩のデビュー戦の相手を務めるということだ。

隣に立つその顔をチラリと見ると、なんとも複雑な表情をしていた。ようやく訪れたプロのリング。でも、相手は先にデビューした後輩。

「普通なら、先輩の胸を借りて思いっきりぶつかっていくのがデビュー戦だ。だけどな、ここでは井之上、おまえの方が先輩だ。後輩ながら先にデビューしたアンドレに意地を見せてみろ。アンドレはアンドレで、たとえ先輩であっても遠慮せず、この集中特訓で培ったことをやってみるんだ」

ぼくの場合は、万念先輩が相手だったから負けてもともとと思えた。しかし井之上先輩は、たった1試合だけだが先にデビューした後輩に負けたという記録が永遠に残ってしまう。その違いは大きい。

2人の肩を叩き「お互い頑張れよ。俺がレフェリーをやって見ているから、心配せずに思いっきりいけ」と言うと、テッドさんは合宿所の中へ。あとに残されたぼくと井之上先輩は、しばしお互い言葉を出しづらそうにしていたが…。

「安藤レイジ! 俺はおまえのかませ犬なんかにはならないからな!!」

突じょそう叫んだ井之上さんは、道場へと戻っていった。その大声に驚いたすず虫とこおろぎが一瞬にして鳴き止み、あたりは静寂に包まれた。

▲あの「かませ犬」発言を知らずに困惑 イラスト: 榎本タイキ

かませ犬って、なんのことだろう? 東北プロレスの方たちの中で井之上先輩が初めてぼくを本名で呼んだのは「俺にとっておまえはアンドレなんかじゃなく、後輩の安藤レイジだ」という意識の表れに思えた。

みんなで晩飯を済ませたあと、部屋に入って万念先輩に意味を教えてもらうべく「かませ犬にはならない」とすごまれたことを伝える。「井之上がそんなことを言ったの?」と、少し驚いた様子だ。

「それさ、相当おまえのことを意識しているってことだぞ。かませ犬っていうのは、強い闘犬に自信を持たせるために当てられる弱い犬のことをいうんだよ。長州力っていう有名なプロレスラーが、ライバルの藤波辰爾に同じことを言ったんだ。要するに宣戦布告したんだよ、井之上は」

巡業についてからわずか5日で試合に出してもらえた自分が、井之上先輩には期待の新人のように映ったのだろう。ぼく自身はまったくそう思わないが、伝説に残るプロレスラーのリングネームを名乗ったり、東京から専門誌の記者さんが取材に来たりというような話が耳に入っていたら「引き立て役なんてごめんだ!」となるのもわかる。

翌日、仙台へと向かう車の中はもとの“バン組”である6人に戻っていた。運転する宇佐川さんの隣にぼくが、後部座席に万念、菅本、井之上、そして骨折こそ完治していないものの、この日より巡業に復帰した日向と4人の先輩たちが座る。