時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】東北プロレスの事務所までタスケが忘れたコスチュームを取りにいったアンドレ。電車の乗り継ぎにも間に合い、試合地である会津坂下町の駅に着く。ところがそこから会場までのいき方がわからない。地元の人に尋ねようと思っても、周りには人っ子一人いなかった。

まだまだひとりぼっちは怖い 

あたりは急激に暗くなってきた。東京のように街灯なんて並んでいないから、自分が今どこにいるのかさえわからなくなる。

体育館に向かう人の流れのようなものがないということは、やはりまったく見当違いのところに来てしまったのだろうか。引き返したところで、そちらの方角が正しいかどうかも…。

ここまで来て迷子になるなんて、クラスのみんなには絶対話せない。いやいや、このひとり旅自体が秘密だったんだ。

実際はそんなに歩いていなくても、迷った時って疲れるものだ。ぼくはかなりヘトヘトになっていた。

もう試合開始時間から30分経っている。無事に体育館へ着いたとしても、きっと宇佐川さんやタスケさんに怒られると思うと、気が重くなって仕方がなかった。

とうとう歩を止めて、ぼくは「あ~あ!」と絶望の声をあげた。5歳ぐらいの頃、ショッピングモールで迷子になった恐怖が蘇ってきた。あの時はワンワンを超えてギャンギャン泣いたものだった。

ひとりぼっちになるのが、あんなにも怖いものだとは…今はちょっとだけ成長したから、そんなことはないと思ったけど、やっぱり不安で不安でたまらなくなり、涙がにじんできた。

その時だった。まるで暗闇の中、ゆらゆらと揺れるひとだまのような明かりが前方に見えた。

そこへいけば誰か人がいるはずと思い、ぼくはまた歩き出した。近づくにつれて胸の中の希望が膨らんでいくような感覚が、やがて喜びへと変わった。その明かりは、体育館らしき建物から漏れていたからだ。

入り口に立ててある「東北プロレス」と書かれた看板。隣には、当日券売り場に座る宇佐川さん。

それを見た時、ぼくの目からドッと涙が湧き出た。あの時も、保護してくれた部屋に母さんが飛び込んできた瞬間、泣きじゃくったんだよな。

ということは、全然成長していないのか。これが自分じゃなかったら、そのさまを見て笑っただろう。

「迷子になって、泣いてやんの」

みっともないことだとわかっているのに、だけど安堵感が涙腺を刺激して止まらなくなったんだ。ぼくを見つけた宇佐川さんが「おまえ…何こんな時間までかかってんだよ! 社長の機嫌が悪くなっちまっただろ!」と怒鳴ったが、こちらの様子がおかしいのに気づき、すぐにやめた。

「すいません…坂下の駅から迷ってしまいました。人が誰もいなくて、宇佐川さんに連絡してもつながんなくて…それで……」

「わ、わかった。もういいよ。俺の携帯のバッテリーが切れていたのも運が悪かったな。それにしても、よくたどりついたな」

「明かりっていいですね、宇佐川さん…」

▲やっとの思いで会場に着き涙 イラスト:榎本タイキ

プロレス会場から漏れる明かりが、とてもあったかいものに感じられたぼくは、またこみあげてしまった。その言葉に、宇佐川さんが少し引いているのもわかった。

「今すぐ社長のところへコスチュームを持っていけ。そしてちゃんと謝るんだぞ。事情を話せば許してくれるから心配するな。ほら、急げ!」

宇佐川さんに背中を叩かれ、ぼくはタスケさんの控室へ飛んでいった。ドアをノックし「安藤です!」と告げて中へ入る。

「おいおいおい、アンドレ~。なーにやってたんだよ。ずいぶん遅かったじゃないの」

その口調は、思っていたよりも怒っていなさそうだった。もとはといえば、自分がコスチュームを忘れてきたのが悪いという負い目があるからだろうか。

それでもぼくは「遅れてすいませんでした!」と頭を下げた。渡されたバッグから取り出したコスチュームに着替えながら、タスケさんは話しかけてくる。

「アンドレさあ、じつは今日、東京から『週刊プロレスラー』っていう専門誌の記者さんが取材に来てるんだよ。雑誌の記者さんは、だいたい土曜の大会に来て、翌日に東京へ帰って記事を書くんだ。で、それが毎週水曜発売の号に載ると。

その記者さんはおまえの試合が組まれていないことを残念がっていた。昨日のデビュー戦の結果を見て、どんな新人がデビューしたか見たかったらしい。それで今日も試合が組まれていたら記事にするつもりだったそうなんだけど、コスチュームを取りにいかせたから組まなかった」

ぼくは黙って聞きつつも内心、相当あせっていた。危なかった。もしもタスケさんが忘れ物をしていなかったら、今日も試合をやらされたかもしれない。

それがプロレス雑誌に載ったら…クラスに一人でも買っている子がいたら! 頭がクラクラしそうになるぼくに気づくことなく、タスケさんは話を続ける。