時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】合宿所へ戻ったアンドレはパソコンで「アンドレ・ザ・ジャイアント」について検索し、その並外れたプロフィールを知り驚がくする。そして翌日も巡業に出たが、途中でグレート・タスケが忘れたコスチュームを取りにいくよう指示され、途中で降ろされ一人盛岡へ戻らなければならなくなった。

「近いうちに取材されるんじゃないの? いやー、いい話だ」 

連絡を受けてから1時間ほどで、バンは仙台駅前に到着。さすがは東北最大の都市、どこを見ても東京と変わらぬほどの人でにぎわっている。

みどりの窓口にいき、盛岡までの切符を買う。領収書も言われた通りにもらった。東京から楢葉へ来る時に乗った特急も速いと思ったけれど、生まれて初めて利用した新幹線はもっと速くて、ずっと窓の外に見入ってしまった。

12時52分、盛岡着。13時41分には駅に戻ってきてまた新幹線に乗らないと間に合わない。

僕はロータリーに停まっているタクシーへ乗り込み「東北プロレスの事務所にいってください!」と告げた。ところが案のじょう、運転手が知らなかった。

「東北プロレスなんて聞いたことねえっぞ。東北プレスの間違いじゃねえの?」

知らないとはいえ、よくテキトーなこと言えるなと思った。東北プレスなんて、絶対にあてずっぽうだ。

ぼくは、宇佐川さんに聞いてメモしておいた事務所の所在地を見せた。これでもまだわからないと言われたら、滝川さんに連絡しようと思っていたが、運転手は「あー、ここなら近いわ。いけばわかる」と言いながら出発した。

10分も走らないうちに「このへんだけんど」と車を停止する。ぼくは慌てて「あ! すぐに戻ってきてまた乗せてもらって駅に戻るんで、メーターを止めないで待っててもらえませんか」と頼んだ。

こんな人通りの少ないところでタクシーを待っていたら、どれぐらいかかるかわかったもんじゃない。コスチュームを受け取るわずかな時間なんだし、また初乗りで払うより安上がりなはずだ。

ところが、タクシーから降りるや問題にブチ当たってしまう。その周辺には、プロレス団体の事務所らしきものが見当たらないのだ。

「……この住所って、このあたりですよね」

「間違いないって。この通りの並びだって。なんだ兄ちゃん、来たことないんかい?」

仕方なく、一軒一軒番地を確認してまわる。まいったな、こんなことで時間を食ってしまうとは。

なかなか見つからなかったが、10分ほどかけて見つけた9軒目の郵便ポストに「株式会社東北プロレス」とあった。ここが? 見たところ、一般的な住宅の造り。ガレージの横に扉があり、インターホンを押してみる。

「(ガチャッ)はい」

「すいません、新人の安藤です。タスケさんのコスチュームを受け取りにきました」

「おー、ごくろうさん。今、開けるから」

“開けるから”とほぼ同時に、扉が開いた。中からは細身でスーツ姿の男性が顔だけ出した。

「さあ、中に入って」

「いえ、タクシーを待たせてあるんで。すぐに盛岡駅に戻らないと間に合わないんです」

「あ、そっか。じゃあ、コスチューム持ってくるから、待っててよ」

中にこそ入らなかったものの、ぼくは扉から頭を突っ込んで覗き込んでみた。確かに、そこは大部屋のようになっていて机とパソコンがいくつも並んでいた。けっして整とんされているとは言えないが、事務所という感じはする。

滝川さん…と思われるその人は、小さめのスポーツバッグを持ってきた。この中にコスチュームが入っているんだろう。

「じゃあこれ、よろしくね。君が昨日デビューした子? 本当だ、大きいねえ! アンドレっていうリングネームになって嬉しいでしょ? しかもデビュー戦で勝つなんて、異例だよ」

「ぼくのこと、なんで知ってるんですか?」

「そりゃ知ってるよ。だって、その日の試合結果を宇佐川に連絡してもらって、マスコミに送るのも俺の仕事だからね」

「え、試合結果を送るって…じゃあ、ぼくの試合も?」

「そうだよ。デビュー戦でいきなり勝ってさ、しかも名前がアンドレなんていったらマスコミも『こいつは誰なんだ?』って関心を持つだろうから、近いうちに取材されるんじゃないの? いやー、いい話だ」

知らなかった。あんな田舎でやった試合なんて、その場だけのものだと思っていた。まさか自分のリングネームと記録が東京のマスコミに送られているなんて…。

もちろん、それだけで親や友達にまでバレることはないだろうけど、ヘンに興味を持たれて取材なんてなったら、その可能性も高まる。アチャー…これは本当にどうにかしないと。

母さんにも、じいちゃんとばあちゃんにもウソをついていたのがバレたら、ヤバいぞ。一瞬、今日にでも小学生だと明かして1週早くやめようとも考えた。だけど明日以降の巡業地も、この機会を逃したら二度といけるかどうかわからないところばかりなんだ。迷うなあ…。

とにかく、今は急がないと。バッグを受け取ったぼくは「じゃあ、失礼します!」と挨拶をして待たせてあったタクシーに乗り込んだ。盛岡駅に着いたのは、出発15分前。あせらず、メモを確認しながら乗り換えを窓口で説明して、会津坂下までの切符を買う。