ビートルズの前座を務めたときの思い出

高木といえば、日本におけるウクレレの第一人者としても知られる。ドリフターズは、もともと全員が楽器を演奏できるバンドマンである。高木にウクレレの魅力について聞いた。

「音色が優しいのが魅力ですね、あのポロン、という音。ギターでもいいけど、やはり弦が4本で、敷居が低いのもいいですね。ウクレレは15の誕生日に兄貴からもらったんです。あのとき、ウクレレもらってなかったらどうなってたかな……、想像もつかない(笑)。うちの父親も含め、一家はみんなちゃんとしたサラリーマンだったから……僕もサラリーマンになってたかな?(笑)」

ウクレレに出会ったことで、高木の人生は大きく変わった。ドリフターズに入る前は、ジャズ喫茶でバンドマンとして生計を立てていた。

「今でいうライブハウスみたいな感じで、そこに出て演奏するだけでメシが食えていたんだよね。そこで演奏しているうちにプロになって、米軍の前でも演奏してた。兵隊さん、将校さん、下士官さん、それぞれ好みに違いがあったんです。兵隊さんはカントリー、下士官さんはジャズ、将校さんはハワイアン。当時は日本にカントリーバンドってなかったから。それからですよね、出てきたのは。あ、長さんはカントリーバンドの出身だったな」

▲ビートルズの前座を務めたときのエピソードを教えてくれた

ドリフターズといえば、ザ・ビートルズの武道館公演の前座を務めたことでも知られる。前座とはいえ、日本でビートルズと共演したアーティストは多くない。

「僕らのほかに、尾藤イサオ、内田裕也、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ブルー・ジーンズとかが出てたのかな。たしかに、今となってはすごく誇らしいことですよね。短い時間でやってくれとか言われてさ、ほんとにダーッと出て、パッとやって逃げるように帰ったけど。そうそう、長さんがステージからハケるときに、“逃げろ!”と言ってたね(笑)。

あのときは、ステージ裏にいてもビートルズのメンバーとは隔離されてて、話はおろか、見ることもできない状況だったんです。でも、じつはこっそりとステージの下から演奏する彼らを覗いてたんですよ。特等席だったし、すてきな思い出ですね」

クレージーキャッツとドリフの関係性

加藤と二人になっちゃったと話していた高木。それでは、高木にとって加藤茶とは、どんな存在なのだろうか。

「僕がドリフに入ったときは、コメディアンが加藤しかいなかったんですよ。以前にいたコメディアンが全員辞めちゃったタイミングだったから、ドリフのなかで笑いが取れるのは加藤だけだった。

長さんも悩んでたと思うけど、加藤がいたからドリフはもったんです。最初の頃は僕もコントはやってなかった、徐々にやらせてもらった感じで。今でも覚えてるけど、僕がドリフに入ってすぐのミーティングで、長さんが“これからは加藤を中心にコントをやっていく”と言ったんですよ」

ドリフターズの芸名は、クレージーキャッツのハナ肇がつけたという話を聞いたことがあるのだが、それは本当なのだろうか。

「それは、僕らが入ったくらいの頃ですね。ハナさんに“芸事で食べていくなら、水に関係のある名前にしたほうがいい”って言われて、加藤はみんなから“加藤ちゃん”って言われてたから、加藤茶。で、僕はブーですもん。水と関係ないじゃない、こじつけもいいとこですよ(笑)」

「ただ、この名前だったから、小さい子どもたちが親しみやすかったのかも」と高木は話す。メンバーたちの芸名をつけてくれただけでなく、ドリフターズの成り立ちには、クレージーキャッツの存在が大きい。

「あの頃は、お笑いをやる、いわゆるコミックバンドはたくさんあったけど、笑いを取るのはメンバーのなかで1人か2人。メンバー全員、それぞれが笑いを取るっていうのは、クレージーが最初じゃないかな。

当時は、コミックバンドとは違う“ボーイズ”と呼ばれる、お笑いの人が楽器を持ってやる芸もあったんです。ただ、これは音楽好きにはそこまで受け入れられてなかった印象で。音楽もお笑いもできて、両方から支持されたのは、クレージーだけでしょうね。

僕も、長さんも、ほかのメンバーもそうだけど、そういうクレージーの姿を見てたから。音楽的にしっかりするというのと、音楽を中心としたリズム感のある笑い、それはプライドを持ってやってたと思ってます。ただ、クレージーはジャズバンドで、僕らはウエスタン、カントリー、ロックバンドの寄せ集め。その差がついちゃうのは……ちょっと悔しかったかな」

▲高木ブーという名前で良かったと話してくれた

じつは、全員集合はスタートして1年あまりで、一度ドリフターズが降板。クレージーキャッツが出演した『8時だョ!出発進行』が放送されたことはあまり知られていない。

「そこにどういう思惑や経緯があったかは知らないけど、クレージーのコントは、サラリーマンが中心のコント。背広着て、ネクタイを締めて。でも、ドリフのコントは、僕らは半ズボン履いて、長さんがお母ちゃんやったり、先生をやったりする。その半年間は、クレージーさんが僕らがやってたような子どものコントをやってたけど、たぶんうまくできなかったと思う。それが直接の原因ではないと思うけど、結局、僕らが『全員集合』に戻ったんです。

だから、長さんがいて、僕らがいる、あの定番のスタイルを作れたのは大きかったですね。あのスタイルができるまでは、長さんも加藤もかなり悩んだと思う。ドリフの全員集合が、ああいうものだって受け入れられてから、どんどんウケるようになりました」