「宇宙人は、実在するからな」
自動ドアが開くと、最前席に座り車内ビデオのリモコンを持ちながら「おー、アンドレ、来たなあ。まあ、そう緊張するな。ここへ座れ」とタスケさんが、通路をはさんだ隣を指した。言われるがまま腰を下ろした瞬間、バスは走り出す。
3列目から後ろに座る先輩たちは、初めて内部へ入るぼくのことをあまり気にしてなさそうな様子だった。おそらく、試合で疲れていてそれどころじゃないのだろう。
「アンドレ、いいビデオがあるんだよ。ほら、見てよ見てよ!」
子どもがはしゃぐかのようにタスケさんはリモコンで早送りしていた映像を止める。それは、UFOに関する怪しげな番組を録画したものだった。
テレビで放送したぐらいだから、まったく興味のないぼくでもわりとわかりやすい内容だった。でも、それ以上でもそれ以下でもなく、何を指してタスケさんが「いい」と言っているのかまでは理解できなかった。
CMに入ったところでビデオをストップし、デッキから取り出すと別のテープを挿入する。再生された映像は、またしてもうさんくさい超常現象に関することで「フライングヒューマノイド」とか「スカイフィッシュ」といった言葉がどんどん出てくる。
それを見て、タスケさんは「なっ? いいだろ、これ。スカイフィッシュが映像で見られるってすごく貴重なんだよお!」と、自慢するように振ってくる。ここまで来るともはやまるでわからないぼくは「はい」と答えて話を合わせるしかなかった。
途中、高速のサービスエリアに停まり、タスケさんから「缶コーヒーを買ってきてくれ。砂糖なしのやつね」と命令を受ける。車を降りると、それまで後部座席にいたテッドさんがぼくの背中をツンツンと突いた。
「いやー、後ろから見てて面白いわ。おまえ、盛岡に着くまでずっとタスケの相手させられっから。みんな社長のオカルト話についていけなくて、誰も相手にしなくなったんだよ。菅本はそれでノイローゼになって、こっちの方が気が楽だって、バンに移ったからなあ。それで、相手がほしくておまえが選手バスに呼ばれたというわけだ」
なんだか、聞いていた話とずいぶん違う。前に、テッドさんは運命さんがいたずら好きだと言ったけれど、もしかすると宇佐川さんもぼくを引っかけたのだろうか。
それでも、タスケさんの相手をすることはまったく苦痛にならなかった。毎日だったらさすがにうんざりするけど、こういう経験ができるのも今日が最初で最後なのだから。
それよりも困ったのは、バスの最後部から野太いながらも弾んだ口調で「アンドレ、社長に『つまんねえよ!』って言ってみろ」とけしかけられたことだ。声の主は、なんと運命さんだった。
運命さんの命令なら従うしかないけれど、だからといってタスケさんが有頂天になって見せてくれているビデオをつまらないなどと言えるはずもない。
露骨にあせってオロオロするぼくの隣では、運命さんの声が聞こえているにもかかわらずタスケさんは相変わらずうひゃうひゃしながらリモコンをいじくっている。車内の雰囲気もまったく不穏な感じにはならず、むしろほかの先輩たちもニヤついているような空気なのだ。
もしや…これが、いたずら好きな運命さんの顏なのか。つまり常日頃からこうして後輩を使い、タスケさんをいじっているのでは。
ぼくは意を決して運命さんに言われた通り「社長…つまんないです!」とちょっとだけ遠慮を入れて口にした。同時にブワッと汗が噴き出たものの、タスケさんは笑いながら「うるさいよ!」と言うだけ。まったく怒っていない。
するとまたしても最後部から「アンドレ、つまんないですじゃなく『つまんねえよ!』だろ」と運命さんが突っ込んでくる。今度はその通りに言ってみたが、やはりタスケさんは「フフフフ、うるさいって!」と上機嫌。
ようやく気づいた。これって、ハメられているのはぼくであってタスケさんと運命さんによる阿吽の呼吸なんだ。
信頼関係があるから悪口にならないし、運命さんの仕掛けだとわかっているタスケさんは怒らず受け入れる。こちらの反応を見て、二人で喜んでいたのだろう。
そう思うと、ぼくはいじられたのが嬉しかった。いつも生真面目な顏しか見せなかった運命さんが、素の部分を見せてくれたのだから。
結局、タスケさんは仙台から盛岡までの3時間半、いっさい寝ずビデオをかけまくりそっち方面の豊富な知識をぼくに披露し続けた。たぶんほかのプロレス団体のバスは、こんな調子ではないんだろうけど、どんな扱いでも選手の皆さんと一緒に乗れたのはいい思い出になった。
市内より先に合宿所付近を通るため、ぼくが一番目に降りる。「お疲れ様でした。お先に失礼します!」と大きな声で挨拶をしてから外へ出ようとすると、タスケさんに呼び止められた。
「アンドレ…」
何を言われるんだろう。気の入っていない返事がバレて、怒られるのか。それともやっぱりつまんないと言ったことで気分を害したのか。
「いいか、これだけは憶えておけ。宇宙人は、実在するからな」
「……」
「わかったら帰っていいぞ」
去りゆくバスを見つめながら、ぼくは思った。「ああいう人じゃないと、脚立から落ちてでも人を喜ばせるという発想は湧いてこないんだろうな」って。