「今いる場所で働く」ことは義務ではない

ストレスが溜まっているときは、感覚が過敏になっています。閾値(いきち)が下がっているため、普段なら雑音と感じないものを雑音と感じたり、街の雑踏の音や食器のカチャカチャという音が気になったりします。つまり、感覚が鋭敏になっているのです。

神経が張り詰めているということは、普段なら感じないような痛みも感じやすくなります。そればかり考えて気になるようになり、悪いほう悪いほうに考えてしまう。

あなたの心は高性能のレーダーのようなもの。拾わなくてもいい情報まで拾って、それを処理しようとしているのです。

平常時は必要ではないと思った時点で、その情報を切り捨てています。しかし、非常時の張り詰めた精神状態では、すべてに意味があると考えてしまい、気になったことを、すべて悪いほうにひもづけて考えてしまう。

上司の何気ない一言が、意味あるものに思えてしまうこともあるでしょう。

でも、それを考え込んでも意味がないんです。あなたの周りで悪口を言っているような気がしたら、距離を置いてみればいいんです。

周囲には、それくらい我慢しなさいという人もいるでしょう。親など少し上の世代の人たちは「もう少し頑張ってみたら」というかもしれません。

でも、本人がツラいというなら、ツラいんです。なまけグセでは決してないし、甘えではありません。

私は医者ですから、「ツラいです」という自己申告に対して、「いえ、あなたはツラくないですよ」とは言えません。

自分でも気がつかないうちに、ストレス行動に出ていることもあります。眠れなくなったり、気分が沈んだりするのは、その顕著な行動のひとつです。

▲「今いる場所で働く」ことは義務ではない イメージ:metamorworks / PIXTA

繰り返しますが、逃げたり、環境を変えることが何よりも大事なのです。前向きにあきらめましょう。

学生時代には夏休みがありましたが、社会人になったら基本的には一年を通して働かなくてはいけないと誰もが考えています。艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてこそ花は咲く、という思い込みがあなたを苦しめているのかもしれません。

仕事がツラくても、我慢しなければいけない。そう思い込んでしまうのなら、その考えを改めましょう。その先には必ず心の暗闇と死があります。死ぬよりは逃げたほうがいい。私はそう思っています。

大きい企業だったら配置換えなどの対応をしてもらえるかもしれません。社会的評価が下がるといった不安もあるでしょう。

「心の調子が悪いまま働くよりも、一度休んでリセットしたほうが経済損失が小さい」という統計があるように、リスタートしたほうが新しい人生を楽しく送れる可能性が高いことはわかっています。

これからの時代、少し休みを取ったくらいで出世や査定に響くような会社は生き残っていけません。そう割り切って、自分のせいじゃないと思ってしまえばいいんです。

労働は日本人の義務ですが、あなたが「今いる場所で働く」ことは義務ではありません。あなたの輝ける場所、心安らぐ場所がもっとあるのだとしたら、そっちで努力をしたほうが、もっと幸せになれると思うのです。