チームにおいて決定権はリーダーにある。しかし、日本の社会では往々にして部下がリーダーに“気を利かせて”物事を勝手に決めてしまっていることがある。これがチームの全体最適化を妨げる要因のひとつだと、陸上自衛隊の幹部として現場でチームを指揮してきた小川清史氏は指摘します。

※本記事は、小川清史:著『組織・チーム・ビジネスを勝ちに導く 「作戦術」思考』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

リーダーがするべき判断をしてしまう部下

日本の会社では、身近にいるフォロワー(部下)が、リーダーの権限(決定権)を“簒奪”しているケースが日常的に見受けられます。例えば、社外の人間から「リーダーに面会したい」とアポイントメントの電話があった場合などです。

その電話を受けた担当者が「その時間は社内会議があるので」とリーダーとの面会を断ってしまうようなケースはないでしょうか。おそらく、皆さんも一度は見聞きしたような話だと思います。

その人との面会をとるか、社内会議をとるかの決定権はリーダーにあります。

私が、ある会社のリーダーに挨拶のためのアポイントを取ろうとした際、電話を受けた担当の方から「その時間は会議(または〇〇部署の報告時間)です。申し訳ありませんが面会はお受けできません」と即座に断わられたことがありました。

しかし、会議(あるいは部下の報告)を選ぶか、部外からの面会を受けるかの決定権は、本来ならアポイントを申し込んだ相手先のリーダーにあるはずです。にも関わらず、電話を受けた担当者が、当然であるかのように判断して決定を下して、さらには回答までしていたのです。

▲リーダーがするべき判断をしてしまう部下 イメージ:buritora / PIXTA

しかし、こうした担当者も最初からこのような行動をとっていたのではないと思います。多くの場合、仕事をたくさんこなして経験を積んでいくうちに、徐々に自分の動ける範囲を拡大して、そのうちにリーダーの決定権にまで拡大してしまうのです。

そのため、リーダーとしては気がついていたけど「今さら指導しづらいなあ、本人は一生懸命真面目にやっているし……」ということになったのではないでしょうか。

本来であれば、どれほど仕事に習熟しようとも、担当者は必ず「上の意見を聞いてからお答えするので、お電話番号をください」と対応し、リーダーには「先方はこの時間に面会を希望されていますが、会議の時間と重なっています。どうしますか?」と確認すべきだったでしょう。

リーダーはリーダーで、このようなことが起こらないように担当者を教育しておくべきだったでしょう。この点では、私も自身の自衛官時代を振り返ると、部外の視点からの担当者教育が不十分だったなあ、と大いに反省するところがあります。

部下たちは“気を利かせていた”だけ

また、私が指揮官をしていた当時、何かの認定をする際にも似たようなことがありました。決裁権者である私のもとに上がってくる報告は、その担当部署が認定上申する案件だけに限られ、担当レベルで「却下」された案件は、(決裁権者であるはずの)私のもとにまったく上がってこなかったのです。

その判断に疑問の余地がまったくないものであれば報告は不要ですが、判断の難しい案件であっても、担当部署が「却下」した場合には、私のもとに「却下した」との報告は上がってきませんでした。

あるとき、たまたま私が「却下」された案件を小耳に挟んだことによって、その案件について担当部署の判断を再考してもらったことがあります。担当部署では当初「過去の例と同様の案件であり、当該案件のみを特別扱いして認定するべきでない」と判断したそうです。

しかし、起きた状況事態は過去の例と同様に見えるものの、実際には過去の例とは事態発生時の前提条件が異なっていたために認定するべき案件でした。

判断を再考したことにより、事態に関係していた隊員は、無事に権利を回復することができました。もともとは、指揮官である私がしっかりと教育を事前に行き届かせていればよかった問題ではありますが、自分の恥を忍んでご紹介しました。

こうした専門的な判断を行うスタッフは、意識的にリーダーの決定権を“簒奪”するつもりは微塵もなく、むしろ真面目に、一生懸命に、仕事をしているのです。

一般的にはフォロワーとして「優秀」と見なされるタイプの人たちが、“気を利かせた”結果として、こうした事態が起こっていると言えます。つまり、自己の業務遂行に集中し過ぎて、本来は誰が決定するべきものであるのかについて思いを致すことなく、「これは自分が担当する案件であり、わざわざリーダーの手を煩わせるのは避けるべきだ」と“気を利かせている”ケースがほとんどなのです。

▲部下たちは“気を利かせていた”だけ イメージ:アラヤシキ / PIXTA

「それで何が困るんだ? 気を利かせてくれるフォロワーがいるのはいいことではないか?」という声も聞こえてきそうですが、全体最適を考えるリーダーにとっては、チームが使用できる資源(人、物、金、時間、場所、人間関係ネットワークなど)が、勝手にフォロワーによって取り崩されたら、全体最適化が難しくなる可能性があります。

フォロワーの個人的判断によって報告時期が遅れたために、指揮官として決断するべきタイミングを失したり、フォロワーが気を利かせてリーダーに言わずにアドバイス的な指示を該当部署にしたために、その部署が気を利かせ過ぎて物や装備品などを移動させていたり、その結果、該当部署のメンバーの働ける時間が少なくなったりなど、チームとして最大限の効果を得ることができなくなるかもしれないのです。

上司の決定権を簒奪するという行為は、実は欧米社会では“犯罪行為”にも該当します。

これは欧米社会において、民主主義・資本主義の精神が社会の土台になっているからこそのことであり、日本社会ではこの種の行為が犯罪である、という認識はまずありません。

むしろ、真面目で優秀な部下が“気を利かせてくれた”結果として「上司の決定権簒奪」が起こったとしても、気を利かせてくれた部下を褒めこそすれ、その部下を叱責しづらい状況にあります。

たとえ叱責したとしても、部下は上司から叱られた理由がわからず、チーム内の不満だけが高まる結果になるかもしれません。私にも同様のケースで叱られた理由がわからなかった経験があります。

また、困ったことに、日本型組織の上司のなかには、部下に対して「もっと気を利かせろ」「そんなこと、俺にいちいち確認とるな」と叱る人までいます。

そういう上司が少なからず各組織にいることから、部下も「こんなものをいちいち上にあげて上司に迷惑をかけちゃいけない」という意識になってしまい、(じつは上司の決定権を簒奪してしまっているけれど)「気を利かせられる部下=優秀な部下」という認識がその組織に、もしくはそもそも日本社会全体に広がってしまっているのではないかと思うのです。