上司の役割の一つに、部下の仕事ぶりを評価するということがあります。普段の行動だったり、企画書や報告書などから気づいたことを面談などで伝えることもあるでしょう。その際に“どのように伝えるか”を悩んでいる人は多いのではないでしょうか。哲学の本場・ドイツで研究を行っている秋元康隆氏が、問題解決のヒントになるかもしれないカントの名言を紹介します。

※本記事は、秋元康隆:​著『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

人が考えたことに“完全な間違い”はありえない

人間の悟性が陥りうるすべての誤謬は単に部分的なものであって、どんな誤った判断のなかにも、常に何か真なるものが存するはずである。

もし部下ができるはずのことをしなかった場合や、誤りがあり、かつ、ある程度そこに本人の自由の余地が認められるのであれば、上司にはそれを指摘する必要性が出てきます。

相手の至らない点を指摘するには、気遣いが必要になるのです。

それは友人関係であろうと、会社内での人間関係であろうと同じです。それに関連して、カントは興味深いことを言っています。

それが冒頭の引用文の文面です。彼は確かに世の中には「誤謬」と呼ばれるものがあるが、完全なる誤謬などということはまずないのであり、いかなる誤謬も部分的でしかないと言うのです。ただ、ここで押さえるべきことは、これはあくまで「悟性」が介在した判断に限った話であるという点です。

悟性とは、狭義には理性と感性の中間に位置する、広義には理性と同義の人間の上級思惟能力のことです。つまり、たとえば人の形に見えたものが実際には影であったとか、人の声に聞こえたものが単なる物音だったとかいったことは、ここでは想定されていません。

そうではなく、あくまで人間が自分の頭で考えたことについて、一片の評価の余地のない完全なる間違いというものはありえない、その裏返しとして、必ずそこには真なる部分があるはずであるということです。

▲人が考えたことに“完全な間違い”はありえない イメージ:kikuo / PIXTA

多面的な見方で眺めて考えるクセをつける

私が学生の学期末試験やレポートを見ていると、なかにはすばらしいものもあります。しかし、非の打ちどころのない完璧な回答であったり、レポートなどといったものは基本的にはないと私は考えています。

反対に、本当にどうしようもないものを目にすることもあります。それでも、評価できる点が何もないということもまた基本的にはないと思うのです。だからこちらは、どんなに良いものに対しても改善点を、問題ばかりのものに対しても評価できる点を一生懸命になって探すのです。

私は普段から学生には、学問的な姿勢とは一面的な見方をするのではなく、多面的に眺めて考える姿勢であると説いています。良いところしか見ないのも、逆に悪いところしか見ないのも、一面的な視点と言えます。私自身が生徒を評価する際に、一面的な視点にしか立たないというわけにはいかないでしょう。

生徒に対して、良い点については必ず伝えるようにします(褒めます)し、改善すべき点については、学生本人がそのことを気づいてくれるように促すのです(そこでは当然、ソクラテス流の対話を用いることになります)。

ところが私自身は、けちょんけちょんに言われて、それで終わり、といった経験が結構あります。

研究者というのは、学会誌に論文を投稿し、査読者というレフリーが論文を雑誌に掲載するかどうか判断するのです。(それ以外の要素や抜け道もあるのですが基本的には)そのような手続きを経て、掲載された論文が多い人が大学で(定)職にありつけるというシステムになっています。論文が採用されるにしても、不採用になるにしても、たいていは査読者からコメントが返ってきます。

私の場合、自身の能力のなさにその原因があることは認めますが、それにしても、そのコメントには否定的な言葉だけが並ぶというようなことが少なくないのです。リジェクトされた側の私が言うのもなんですが、「この査読者は学問的姿勢が身についていないな」と判断するわけです。

学問的な姿勢、すなわち、多面的な見方ができるということは、学問の世界に限らず、一般社会においても有効であることは容易に看取されると思います。

▲多面的な見方で眺めて考えるクセをつける イメージ:8x10 / PIXTA

仮に上司が部下の悪い点のみを(粗)探しして、指摘するような態度であれば、部下はやってられないでしょう。逆に、こちらのケースは稀だと思いますが、良い点しか探さず、指摘しないとしても、それはそれで危険と言えます。改善すべき点がそのまま放置されることになるであろうからです。それでは組織はうまくいかないでしょう。

一面的な視点にしか立たない話に関連して、会社などで一方の意見だけを聞き、もう一方の意見は聞かないまま、事実確認もされないまま判断(懲罰)が下るという事態を目の当たりにしたことはないでしょうか。

私は他者がそういう憂き目に合った場に居合わせたこともありますし、自分自身がそれをされ、バイトをクビになったこともあります。

はっきり言って、そういう姿勢の(つまり、学問的なスキルが身についていないような)人は、人の上に立つべきではないのです。