今も語り継がれる歴代最高レンタル選手らの武勇伝

さて、今回は大谷選手のトレード考察ではなく「仮に大谷選手がトレード放出をされた場合、どのようなインパクトを残すか」という点を、過去の事例を通して考えたいと思います。

大谷選手はチーム契約保有期間が残り半シーズン(3か月)のため、いわゆる“レンタル選手”となります。近代のMLBではレンタル選手として大活躍をし、チームが飛躍をした事例が数多くありますが、そのなかでも特に大きいインパクトを残した選手を4名紹介しましょう。

▲ランディ・ジョンソン 写真:ロイター/アフロ

ランディ・ジョンソン(投手):1998年 / シアトル・マリナーズ → ヒューストン・アストロズ

成績:11試合 / 10勝1敗 / 84.1回 / 防御率1.28 / 奪三振116 / WHIP 0.98 / rWAR 4.3

まずは、サイ・ヤング賞5度受賞経験のある殿堂入り投手・ジョンソン選手。1989〜98年までマリナーズで過ごし、エースとしてチームを支えてきたものの、98年にはマリナーズが6月に大きく負け越してしまい(8勝20敗)、トレードデッドライン数分前にアストロズへ放出されました。

ヒューストンでは11試合を投げて10勝、うち4試合は完封というとんでもない成績を残し、アストロズを地区優勝及びプレーオフ進出へと導きました。そのプレーオフでは、サンディエゴ・パドレスを相手に2試合を投げて8回2失点(第1戦)、6回1失点(第4戦)と好投をするものの、打線の援護がなくあっさり敗退をしてしまいましたが、歴代最強のレンタル選手と言っても過言ではないかもしれません。 

▲C.C.サバシア 写真:ロイター/アフロ

C.C.サバシア(投手):2008年 / クリーブランド・インディアンズ → ミルウォーキー・ブルーワズ

成績:17試合 / 11勝2敗 / 130.2回 / 防御率1.65 / 奪三振128 / WHIP 1.00 / rWAR 4.9

「ランディ、最強!」と言ったばかりですが、この大活躍を超越した(と筆者が考えるのは)ブルーワズをほぼ一人でプレーオフへ引っ張ったサバシア選手です。

27歳という若さでブルワーズへ移籍、3か月で17試合に登板するという鉄腕ぶりを発揮し、なんと最後の3登板はいずれも中3日。しかもプレーオフ進出の命運がかかったシーズン最終戦では、地区優勝チームであるカブス相手に完投勝利(1失点、自責点0)を収めます。結果、その日に負けたニューヨーク・メッツを1勝差で差し置き、ブルワーズはワイルドカード枠を獲得、26年ぶりのプレーオフ出場を果たしました。

残念ながら地区優勝シリーズでは、世界一を果たすことになるフィラデルフィア・フィリーズを相手に敗退をしてしまい、サバシア選手も唯一の登板では3.2回で5失点と不甲斐ない終わり方をしてしまいます。しかし、誰もが「そもそもサバシアなしでブルワーズはプレイオフ進出を果たしていない」という共通認識で、今でも多くの野球関係者やファンの見解として、史上最高のレンタル選手として挙げられています。

▲カルロス・ベルトラン 写真:ロイター/アフロ

カルロス・ベルトラン(外野手): 2004年 / カンザスシティ・ロイヤルズ → ヒューストン・アストロズ

成績:90試合 / 打率 .258 / 出塁率 .368 / 長打率 .559 / OPS .926 / 本塁打23 / 盗塁28 / 得点70 / 打点53 / rWAR 4.5

まず真っ先に野手で名前が挙げられるのはベルトラン選手でしょう。半シーズンで4.5WARも稼ぐ大活躍で攻守にわたってチームへ貢献。そのおかげで、アストロズはシーズン最終日にワイルドカード枠を勝ち取り、プレーオフ進出を達成しました。そしてプレーオフでは、12試合で8本ものホームランを打つという大暴れをしたのに関わらず、リーグ優勝シリーズでセイントルイス・カージナルに惜敗し、チームは敗退をしてしまいます。

ちなみに、1プレーオフでホームラン8本は当時の最多記録タイで、2020年にはタンパベイ・レイズのランディ・アロザレナ選手が10本を放ち更新をするものの、8本以上の記録保持者はいずれもワールドシリーズへ進出をしているため、ベルトラン選手もワールドシリーズへ進出をしていれば、更新できた可能性はありますね。

▲ヨエニス・セスペデス 写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

ヨエニス・セスペデス(外野手): 2015年 / デトロイト・タイガース → ニューヨーク・メッツ

成績:57試合 / 打率 .287 / OPS .942 / 本塁打17 / 打点44 / 得点 39 / rWAR2.3

最後に、数字以上の貢献をしたといえるのがセスペデス選手です。メッツは獲得時52勝50敗と、ほぼ貯金がない状態でトレードを遂行したものの、そこから37勝22敗と快進撃を遂げ地区優勝。最終的にはワールドシリーズまでたどり着きました。

その要が、とんでもないエネルギーを持ち込んだセスペデス選手と言えるのではないでしょうか。

彼が加入する8月1日以前は、試合毎平均得点数が3.5点、OPSが.662と打線が振るわなかったものの、以後は平均5.4点、OPS .794と強力打線へと大変身しました。これには、もちろんセスペデス選手本人の成績貢献が含まれていますが、それ以上に「チームメイトへの伝染した力が凄まじかった」と当時の関係者やメッツファンは口を揃えるでしょう。やはり野球はデータのみでは語れない、という象徴的な一例です。