こんにちは。風野又二朗です。

8月に入り、夏の全国高校野球選手権大会が始まると。つまり甲子園が始まると、夏が本格的になったなと感じますね。

強豪校であり常連校の落ち着きぶりに驚いたり、初出場ながら快進撃を続けるチームに驚いたり。

たまたまテレビをつけたタイミングで、負けているチームが最終回での逆転をしそうな雰囲気を見ると。頑張れ!いけ!と、まるでずっと応援してきたかのように、気持ちが入ってしまう事があったり。

ゲームセットの瞬間、負けてしまったチームの涙を見て、もらい泣きしてしまったり。これが、夏の甲子園だな!と思います。

甲子園も、準々決勝ぐらいまでくると、さらにこの甲子園で日焼けしたんじゃないかと思われる球児達の躍動に、毎年驚かされます。

特に、ここまできたピッチャーの顔は、いくつもの修羅場をくぐってきた漢の顔をしてますよね。

10代とは思えないというか。ここで人生が終わってしまうかもしれない、という切迫感と覚悟を持った漢の顔といいますかね。あれは、この夏にいきなり出来上がった顔ではなく、彼らが積み重ねてきた、野球に人生を懸けてきた時間で醸成された顔といいますか。

あの表情を見る為に、甲子園を見ている気さえします。

もちろん、ここで全てが終わる訳ではないし、10代はむしろ人生のまだ始まりのスタートラインとも言えますが、この瞬間が最後だと思って取り組んでいる人の姿は、胸を打ちます。

▲風をあつめて、巻き起こす

また、この時期は、日本にとっては、終戦記念日である8月15日もあって、1年で1番戦争について考える時期でもあります。

テレビ局も、戦争について取り扱った番組を多く放送するのも、この時期だったりします。僕もこの時期に放送される番組は、時間の限り見るようにしています。

今、ここにある平和について、今一度しっかり考えることができる時期だと思っています。

当たり前じゃないですよね。こうして、平和であることは。時代によって、あるいはその場所によって、僕らの当たり前は、当たり前ではない。

そしてこの時期は勉強の為に、戦後すぐに作られた映画を見ることがあります。

時代は違いますが、映画やドラマ、エンターテイメントを作ってきた人が、何故その時代にその仕事に就いて、そのような作品を、どうやって取り組んで作ってきたのかを考えています。

今ほど、技術は確立されていない中で、尋常じゃない時間と労力の中で作られていたんですよ。

照明機材も到底1人では持ち上げらない重さだったり、マイクも信じられないぐらい大きくて。そもそも、こんなデジタルに撮影ができないフィルムの時代です。高価だから、何回も何回も撮り直すことなんてできません。

合成もないし、時間もない。その中で、その瞬間に起きる奇跡みたいなシーンを撮影しなくてはいけない。

それはまさに、ここで人生が終わるかもしれないという緊張感で撮影していたんじゃないかと、勉強し取材していく中で考えています。

今のエンタメの制作の中に緊張感がないかといえば、そうではないし、今ももちろん、物凄い緊張感と集中力の中で作られている訳ですが、やはり当時とは違うだろうなと思います。

先日見た、戦争映画がありまして。そこに出演している俳優さんは、みんな間違いなく、実際に戦争を経験されている人たちばかりで。少なくとも、戦争を直接体感せずとも、同じ時代にこの国で生活していた人が俳優になり、出演している映画を見ました。

顔つきが違った。顔つきが違うように見えたんですよ。

今いる俳優ができないという訳ではないんですが、体感した人のその顔つきは、やはり違うんですよ。作品ですから、ドキュメンタリーではないから、必ずしも、リアルでなくても良いんですけど。

その佇まいというか、生き様がしっかりと出るんだなと再認識しました。

取り返しがつかないかもしれない。その緊張感の中で、最高のものを出すための準備、練習、研鑽。これは、どの業界もそうだと思います。

過去が良かったという話ではなくて、本当にこの時代、これから、僕たちはどう生きるのか。

しっかりと考えて、日々の生活に仕事に取り組んでいかないといけないと思っています。

この令和という時代に生きた大人として、いつか子ども達に考えてもらう日が来るので。参考にしてもらえるような人生にしたい。この暑さに負けないような熱さで、目の前の仕事に取り組んでいきたいと思います。

それでは、また、風の吹く日に。

『風をあつめて、巻き起こす』は、次回9月1日(金)更新予定です。お楽しみに!!