東洋医学の考え方をベースとし、目的別にいろんな効用のある野菜を使ったスープを紹介する『超!解毒スープ -おつかれ気味の腎臓がよみがえる-』の著者、大野沙織さん。20代で腎盂腎炎(じんうじんえん)を発症、右の腎臓の機能を失い、現在は1つの腎臓で生活している大野さんが勧める腎臓の不調に効くスープは大好評で、YouTubeチャンネルは12万人を超える。
ニュースクランチ編集部は、彼女のパーソナルな部分に迫るとともに、YouTubeなどで人気の秘密を解き明かすためにインタビューを実施した。
エコーを見たら先生の顔色が変わった
――大野さんは現在も鍼灸師というお仕事をされておりますが、何かキッカケがあったのでしょうか?
大野 子どもの頃から絵を描くことが好きで、高校を卒業してデザインの専門学校に進学しました。あるとき、授業中に腰が痛くなって、医務室で氷を借りて冷やしていたんです。痛みがおさまらないので整骨院に行ったら「骨盤がゆがんでいる」と言われて、施術を受けていたんですが、なかなか良くならなくて……。
――どれくらい続いたんですか?
大野 学校を卒業して、デザイン事務所に入るまで続いてました。
――え! そんなに……。
大野 そうなんですよ。就職したデザイン事務所も激務で徹夜の作業が多くて、事務所にダンボールを敷いて寝ていたんですが、そのうち1週間のうち2日くらい寝込んで動けないようになってきて、お腹の右側が2倍くらいに膨れてきて、“さすがにこれは異常だ”と思って、内科に行ったんです。
――聞くだけで青ざめてしまうようなお話です……。
大野 ただ、そこでも「異常なし」って言われたんです。
――そんなことが!
大野 って私も思いましたよ(笑)。でも、病院に行くとお腹の膨らみは消えるんです。ただ一向に良くはならない。3度目に病院へ行ったとき、先生に「エコーを撮ってみてください」って伝えたんです、“素人なのに、こんなこと言っていいのかな…?”と思いながらも。そして撮ったエコーを見たら、先生の顔色が変わって「すぐに泌尿器科に行きましょう」と。すぐにカテーテルを入れられました。
――やはり大変なことだったんですね。
大野 尿管が捻れて尿が逆流して、それが腎臓に溜まって膨れていたそうなんです。病院に行くと検査などでトイレに行きますよね、だからそのタイミングではわかりにくかった、ということだったそうです。
――大野さんがそこで「エコー撮ってください」と言わなければ、もっと重篤な事態になっていたということですよね。
大野 そうですね。そこから手術をしましょう、ということになったんですが、紹介していただいた腎臓の名医の先生が手術まで半年待ちだったんです。その半年間も痛みは当然あるわけですよね、でも1週間に2日は痛みで起き上がれない……。これが半年は続くんだと思ったら絶望しちゃったんです。
そんなときに、病院の待合室にあった雑誌に鍼灸特集が載っていて、友人からも「鍼っていいらしいよ」という話を聞いていたので、怖かったんですけど、藁にもすがる気持ちで鍼灸院に行ったんです。
そうしたら、私は何も言ってないのに、先生が脈診〔患者の脈に触れて拍動の強さや早さ、硬さや太さ、浮き沈みなどを把握することで、疾病の状態を診察する方法〕をしただけで、病状から何から全て言い当てたんです。私、びっくりしてしまって。行く前は怖いとすら思っていたのに、その場で“この先生の弟子になりたい!”と思ったんです。
――その先生が大野さんの人生を大きく変えたんですね。
大野 はい。その半年間は鍼に通って、手術をして、そこから半年に1回は病院に行って術後の様子を見ていたんですが、「もう大丈夫です」というタイミングで鍼灸の学校に通い出しました。
縁とタイミングがうまく重なった開業
――鍼灸の学校で実際に勉強をして、自分に合ってるなと思いましたか?
大野 はい、学校の授業はとても楽しかったです。ただ、鍼灸の業界って“食えない”ということで有名なんですね。国家資格ではあるんですが、就職先がない。1人で開業するか、誰かの弟子になるか。または接骨院・整骨院で仕事をする。私は、そのなかで開業を選びました。
――さらっと「開業しました」とおっしゃいましたが、皆さんそこができないから苦労されるわけですよね。資金も必要になってきますし。
大野 確かにそうなんですが、じつは賃料にかかる敷金をほとんど使わずに開業できたんです。資金もそこまで潤沢にはなかったし、若かったから不動産屋さんも相手にしてくれなかったんですけど、その頃に住んでいた大阪の枚方市が「空き家バンク」をやっていたんです。空き家を市が安く提供して、地域を活性化させる試みです。
――その頃から空き家バンクってあったんですね。
大野 そうですね、かなり早かったと思います。そこで見学会のお知らせを見て、実際に空き家を見学したら“ここしかない!”と思ったんです。そしたら市役所の方が「来週プレゼンがありますので参加してください」と言われまして。そこを借りてどういうことをしたいか、市役所の方々の前でプレゼンしなきゃいけないんですけど、そこで鍼灸院を開きたいことをプレゼンして、借りることができました。
――タイミングと大野さんの熱意がうまく合致したんですね。
大野 本当に縁だと思います。どちらかというと前に出て主張するタイプではなかったんですけど、病気が発覚した経緯も、空き家を借りられた経緯も、一歩前に出たことで良い方向に向かったので、そういう姿勢は本当に大事だったなと思いますね。
そして、またひとつ縁なんですが、特に実績があったわけではないので、開業当初は暇だったのですが、その物件の大家さんが心配して来院くださったり、顔が広い方でご友人にも紹介してくださって、さらにそのご友人が……と、早いうちから多くの方が来院してくださったんです。
――それも本当に縁ですね。
大野 実際にお客さんとコミュニケーションを取って、鍼を打たせてもらうのが一番勉強になりますし、技術も向上していくのでありがたかったですね。あと、うちの鍼灸院はサブスクのサの字もない頃から、月額いくらで通い放題というサービスをしていたんです。それが多くの方に利用していただいた一因かも知れないですね。最近サブスクが主流じゃないですか、“うちは早くからやってました!”って思ってます(笑)。