トッププレイヤーたちがサウジアラビアへ移籍

いきなりですが、僕の話を聞いてください。

ワントップのフィルミーノはファーストディフェンダーとして、そしてテクニカルな2列目を生かす戦術のキーマンでした。

トップ下には僕の大好きなネイマールが王様として君臨し、その両脇に運動量と技術を併せ持つディ・マリアとインシーニェ。

背後ではカンテがことごとくボールを回収し、最終ラインはキエッリーニとクリバリが対人の鬼ぶりを発揮する。

これはほんの3年前、僕のウイニングイレブンのオンライン対戦用のレギュラーメンバーです。

みんながクリスティアーノ・ロナウドやメッシ、エンバペ(あと異様に強いルンメニゲ)の激速スリートップでロングカウンターを仕掛けてくるなか、僕の大好きな選手だけで構成されたチームのフットボールはスペクタクルで美しいものでした。

しかし、時代の移り変わりは早いもので、僕が愛したナポリの生え抜きファンタジスタであるインシーニェ、そして同じくイタリア代表の守備の要だったキエッリーニはアメリカへ。

ディ・マリア(ベンフィカ)はかろうじて欧州リーグでプレーしていますが、フィルミーノ、クリバリ、カンテ、そしてネイマールまでもが、サウジアラビアのチームへ移籍しました。

こうして愛する選手たちを欧州のトップリーグで観る機会が、これから大きく減っていくのでしょう。

まあ提示された条件(年俸など)が破格なのでしょうがないのですが、「もう少しトップレベルで見たかったな」と思う選手もいたりして。

逆に我が心のクラブである浦和レッズがACLで決勝に進めば、本気の彼らと埼スタ(埼玉スタジアム2002)で戦うことができる、という楽しみもありますけどね!!

と、いうことで今日は僕がネイマールに恋した地球の裏側での話。

初の海外はブラジルでW杯観戦

2014年6月、僕はW杯を現地で観戦するためにブラジルに降り立ちました。初めての海外、初めての一人旅ということもありビクビクしていた僕を迎えたのは、サッカー王国の熱狂でした。

宿の地図をタクシーの運転手に見せるも、迷子になってしまい一向に到着しないなか、運転手が無線で何やら問い合わせをしています。おそらく宿の場所の確認なのでしょう。

しかし、無線の向こうからは繰り返し

「マルセロがオウンゴールしたぞ!」

と、試合の途中経過が伝えられるばかりでした。

その日はちょうどブラジルW杯の開幕戦が行われている日だったのです。どうしようもないので、近所の屋台で運転手さんと試合を観戦して、なんとかハーフタイムに宿へ到着。

ブラジルの逆転で試合が終わった瞬間から、街は花火やクラクションの音で大騒ぎでした。

ブラジルの街は黄色いシャツを着た人ばかりです。それは、試合のあるなしに関わらず、いや試合の日は輪をかけて多かったか。試合会場じゃなくても、なぜかたまにJリーグのシャツを着てる人もいます。

▲栃木SCのユニフォームを着た人も

とにかくほとんどの人は、ブラジル代表のロゴが入った、明らかにナイキのものではないシャツを着ています。

デザインはさまざまですが、それらのシャツに一様にプリントされている数字がありました。

『10』

ほとんどの人がネイマールのシャツを着ているのです。

▲10番を身にまとう子どもたち

当時のブラジル代表は守備陣こそ鉄壁でしたが、攻撃に関してはネイマールの個人技に依存することが多かったと記憶しています。

これが2006年なら、ロナウジーニョの脇にはカカもロナウドもアドリアーノもいましたが、2014年のネイマールは『唯一無二の10番』として国中の期待を一心に受けていました。

ネイマールは当時22歳で、まだ少年のような雰囲気がありましたが、僕は

「自分より年下の若者に、ブラジル2億人の期待がのしかかるって、どんなプレッシャーなんだろう」

と、想像するだけで恐ろしくなったことを覚えています。

ブラジルにおけるサッカーほどの注目度のものが日本にはないので、日本の何かでは例えようがないくらいの期待と重圧です。

ブラジルという国は、過去に自国開催のW杯で代表チームが敗れたショックで、多くの人が亡くなったほどですから。