何があっても慌てないという心構えが必要
それでは末期がんとは、どのように向き合えばいいでしょうか。
まだまだこれからたくさん時間があると思っていた矢先、突然の宣告を聞かされた場合、さぞ驚かれると思います。私も患者さんにさまざまなことを伝えてきた立場でしたので、このケースは想像がつきます。おつらい気持ちがこちらに伝わってきます。
しかし、これらの宣告について医療従事者だけを責めるわけにはいきません。普段から、死について、ある程度の心構えを持つことは大切です。いわゆる「死生観」です。
日本は戦争に負けて米国の占領下にあった時、さまざまなことが作り変えられました。その一つが死生観です。それまでの日本人は何かに備える武士道精神が一般庶民にもありました。今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない。その時がいつ来ても慌てないように、今○○しよう、という覚悟が今よりあったと思います。
江戸時代も火打石で主人を送り出すのは、「無事にお戻りください」という縁起担(えんぎかつ)ぎでした。一方、現代の日本は家を出たら、帰って来るのが当たり前と誰もが思っています。「これが最後の別れかもしれない」と毎日思う必要はありませんが、せめて「気をつけていってらっしゃい」と心を込めて思う気持ちは大切でしょう。
また、戦後は西洋式の二元論が色々な分野に持ち込まれ、「生か死」「勝ちか負け」のように二つに分けて、対立構造のような発想が持ち込まれました。もともと、日本人の死生観に対立軸や勝ち負けの発想はなかったと思います。一足お先にあちらへ行った家族やご先祖さまが、こちらを見守っているという一体感があったのではないでしょうか。
私が常々、日本人から失われた死生観についてお話しするのは、まさにこのようなときに慌てないためなのです。いざ、そのときが来てからですと、そこから本を読んだりして、考えを変えることは難しいでしょう。ですから、そうなる前に心構えが必要なのです。
人というものは100%死ぬものです。皆が行くあの世が悪いところのはずがありません。それだけをお伝えします。