五十嵐充の脱退「これはもう、しんどいかな」
ELT結成の経緯からわかるように、このユニットの音楽的な牽引役は五十嵐だった。そんな彼が2000年3月にELTから脱退した。
「あのときは、“いや、もうちょっと頑張ろうよ”とか、そういうものもなく、事務的に“彼はやめます”と伝えられた感じだったんです。“これはもう、しんどいかな”と思いましたね。だって、エンジンがいなくなっちゃったわけだし、3本柱が2本柱になっちゃうんですから(笑)。
でも、なぜか“メンバーを補充してグループを存続しましょう”みたいな意見は、まったく出なかったんですよ。だから、メーカー側も軸がなくなっちゃって、あの2人だけで大丈夫なの?……と思っていたんじゃないかな」
もともとは“思い出づくり”でELTに加入した伊藤である。軽い気持ちで「じゃあ、解散しよう」という発想になってもおかしくない。しかし、プロとしてお金をもらう立場となっていた状況でそれは許されない、彼は大きな土壇場を経験することになる。
「いろんな人たちが動いていて、状況的には次のツアーの券売が始まっちゃってたんですよ(笑)。で、持田と“どうする?”みたいな。やめたくてもやめられないみたいな状況なんですよね。だから、来てくれる人がいるんだったらツアーはやって、そのあいだに考えようって話してました。
アルバムを作るにしても、今までのスケジュールでは絶対に間に合わないんですよ。3人で分担していたのを、2人で作らないといけないので。そこでレコーディング合宿を敢行して、寝ないで楽曲制作に取り組みました」
ところが、2人体制のELTに光明が差した。ある夜、スタッフを含めて作業をしていて、みんなで休憩を入れるタイミングで食堂に行ったときである。テレビからアルバムの先行シングルとしてリリースしていた『fragile』が流れてきたのだ。それは、この曲が1位を獲ったという知らせであった。
「レコーディング合宿でめちゃくちゃ煮詰まってるときだったから、あれは弾みがついた出来事でしたね」
――こうして土壇場を乗り越えたように見えたが、3人体制から2人体制になったことで伊藤はこれまで避けてきた役割も担うことになった。当時はテレビ全盛期、それまで新曲のプロモーションとして音楽番組に出演する際は、MCとのトークは五十嵐が担当していたからだ。そもそもELTは、あるミュージシャンを模した活動形態をイメージしていたそうだ。
「最初はZARDさんみたいに、持田以外はジャケットに写らなくていい、みたいな空気だったんです。持田が撮影をしているあいだに、男2人はスタジオに入って次の音源を作るみたいなイメージだったんですけど、2人組になったら前に出ざるを得なくなっちゃったんですよ。ほら、2人とも寡黙というか、あんまりしゃべんない人みたいな印象だったと思うんですけど、どっちもしゃべんなかったらどうすんだって(笑)」
こうして、前に出ざるを得なくなってしまった伊藤を救ってくれたのが、とんねるずやダウンタウンだった。彼らによって“見出された”伊藤は活動のフィールドを広げ、現在は「いっくん」の愛称でバラエティ番組で活躍中である。
「芸人さんがアイドルの方に絡んでイジってもらう図式はよくあると思うんですけど、それがミュージシャンになると扱いづらかったと思うんですよ。“こいつ、本当に怒りそうだな”みたいな人が多いんで。僕も持田も、根は真面目ないい子ちゃん。でも、どっちかで言うと、持田は“これ以上ツッコんだら怒りそう”のタイプ、対比として“伊藤は怒んないだろうな”と思われてる。それに応えないといけないというか(笑)。
やっていくうちに“隙を見せたほうがいいんだな”と気づいたんです。とんねるずさんやダウンタウンさんくらいになると、ものすごいスキルを持っているので。だから、僕のことを見る人が笑ってしまうようになったのは、そう導いてくれた芸人さんたちの才能なんですよ」
目指す先輩は松崎しげるやモト冬樹
こうして土壇場を乗り越えた伊藤は、タレントとしての幅をグングン広げている最中である。バラエティに進出しだした頃、伊藤はある先輩ミュージシャンから「ミュージシャンが笑いのネタにされるようなことをやっていいのか?」と、面と向かって詰問されたことがあるらしい。しかし、伊藤の芸能観はそれとは相容れない。
「僕は高田純次さんが好きなんですけど、あの人も根は真面目じゃないですか。昔、高田さんがブリーフの上にパンストを穿いて、それを丸出しにしていたんですね。それを見て“なんで、この境地に行けるんだろうな?”と思ってたんです。でも、ある番組で僕も同じようにパンツを出して同じようなことを1回やったら、もうなんか許容できるようになっちゃって(笑)。
僕が見るミュージシャンの先輩には、松崎しげるさんやモト冬樹さんがいます。昔は凄まじい感じだったんだけど、今は“バラエティに出てる人”と認識されている方々がいらっしゃるじゃないですか? 僕もああいう感じになれるのかなぁ。行けそう……だけど、やっぱり難しいですよね。強力な先輩たちが他にもたくさんいらっしゃいますし」
松崎しげるもモト冬樹も、バラエティで活躍し、役者業にも励み、幅広いフィールドで活動している“芸能人”だ。しかし、いざミュージシャンの顔になると「やっぱりスゴい!」と感じさせる偉大な先達である。そのくらい手広く芸能活動に邁進する道を、伊藤は見据えているということだ。
Every Little Thingの結成は1996年。かれこれ、活動期間は27年である。そこで聞きたい。伊藤にとっての“相方”持田香織とは、どういう存在なのだろう?
「僕もいろんなバンドを渡り歩いてきた派なので(笑)、同じグループを結成して20年やるって本当に驚異的だし、デビューした当時、持田は高校3年生でしたからね。それが結婚して、子どもを出産してっていうと、めちゃくちゃ変わっていくじゃないですか。女性のほうが人生のターンも多いし、精神年齢も追い越されちゃってるので、そろそろ見限られるんじゃないかと思ってます(笑)。
バンドという形態だとケンカもあるじゃないですか。それが、男女で年齢差もあるとなると、そういう殴る蹴るも起こらないんですからね。それが長く続く要因の1つでもあると思うし、すごく良かったなあって。
あと、2人組で片方がロジカルにダメ出しをすると、むかついちゃって受け付けないみたいなこともあると思うんです。でも、たまたま僕の周りにはそれをしてくれる方がいてくださったので、僕がそういうことをする必要もなく、“ああ、ここはチャラチャラしていいんだな”と振る舞えるところもありましたね」
振り返ると、ELTは“プロジェクト”として始動したユニットだった。それが功を奏したということか。持田はかねてより「一朗さんの人柄に助けられた」と公言している。数多くの土壇場を共に乗り越えてきた2人の絆は、想像以上に深い。
(取材:寺西ジャジューカ)
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