多くの著名人から、人生に訪れた“土壇場”について聞き出すインタビュー「俺のクランチ」。今回は、ラッパー、ラジオ・パーソナリティと多方面で活躍するRHYMESTERの宇多丸。彼の人生に、土壇場の局面がないわけがない。なにしろ、日本にヒップホップという文化を根付かせた立役者の一人だからだ。
いとうせいこうや近田春夫といった先人の功績は重要だが、まごうことなきラッパーが日本で活動できるようになったのは宇多丸の世代以降からである。ジャパニーズ・ヒップホップシーンというものが存在しなかった時代に、彼はどんな道を歩んでいたのだろうか。
ゲームの話は体験談だから面白い
少年期の宇多丸は、自宅にゲーム(据え置きゲーム機)を所有していなかったそうだ。リビングにあるテレビは1台だけなので、大手を振ってゲームできる環境じゃなかったというのが理由。
そんな彼が2022年4月の放送終了まで総勢127名ものゲストを招き、多くのゲーマーがゲームの思い出を語らってきた番組『ライムスター宇多丸とマイゲーム・マイライフ』(TBSラジオ)が、今年4月に番組本『プレイステーション presents ライムスター宇多丸とマイゲームマイライフ』(太田出版)として出版された。
「やっぱり、人が語るゲームの話はおもしろいなと。なぜかというと、その人が経験した話になるからなんです。たとえば、映画を語るときは、どうしても“こういうことが読み取れますよね”と、ある種の客観的な論評として話すけど、ゲームに関しては同じタイトルの話をしていても、人それぞれで同じではないというか。
ゲームだから思いっきり失敗してもいいし、現実ではこんなに失敗した話とかしないよねって。もっと言えば、卑怯なプレイをしたと告白する人もいます。実人生での卑怯な話はダメだけど、ゲームなら卑怯なプレイをしたという話も、“ダメですねえ(笑)”って、その人の魅力になるというか。飾ってない心からの話だし、しょせんはゲームの話だから笑えるし、どんな人のどんな話であれ、絶対におもしろい」
宇多丸の“モノの見方”にゲームが影響を与えた部分は少なくないらしい。
「ゲストとして出てもらった人は、どんな人でも好きになりましたね。番組に来てくれた方で特に印象的だったのは、“廃人系”なら片桐仁さん、“超人系”なら橘慶太くん(w-inds.)、“レジェンド系”なら加山雄三さん、“アーティスト系”なら清塚信也さん。
あと、酒井雄二くん(ゴスペラーズ)も面白かったね。ゲーセンの話になるけど、若い頃はお金がないからゲームをあまりできない、でも彼はゲーム音楽が聴きたい。だから、ゲームがうまいヤツにお金を渡して、“できるだけ長くプレイしろ”と言って、自分は録音してたって。そんなことしてる人います!? みたいな(笑)。
でも、ゲームに対する渇望が伝わってくる話だし、限られた音数でハーモニーや豊かさを出すゲーム音楽の方向性は、まさにゴスペラーズがやってることそのものだから、“おもしろー!”みたいな」
ちなみに、宇多丸が“人生を変えたゲーム”として選んだのは『リッジレーサー』だった。
「音楽がクソかっこいいですね。皆さんは“ファイナルファンタジーのテーマ曲が~”とかって言うけど、俺の好み、つまり、ダンスミュージックっていう意味で『リッジ』は常にカッコいいんですよ。俺、昔のゲーセン時代の『ボスコニアン』が好きなんですけど、あれもナムコで。やっぱり、ナムコという会社の音楽的感性ってカッコいいですよね」
自由と選択肢がない小学校時代のおそろしさ
そして、彼が少年期を振り返る際は「学校が窮屈で仕方なかった」と口にするのが常である。つまり最初の土壇場だ。
「学生って基本的に自由と選択肢がないじゃないですか。決まった時間に学校に行き、決まった時間に授業を受けないと怒られるっていう。しかも毎日、別に仲がいいから集まってるわけでもない連中と教室へ押し込められて。そのなかには粗暴なヤツがいたり、意地悪なヤツがいたり、逆にイライラするほどクソ真面目なヤツがいたり。とにかく、ストレスが溜まる環境で生きていかなきゃいけない。
子どもなりの政治を生き抜いて……って、まったく無意味な労力ですよね。でも、その不愉快を飲み込むしかないっていう、おそろしい時期。あと、小学校ではクラス内にいわゆる同調圧力があって、それに従わなければイジメられるかもしれない、だからビクビクするというのもあった。
持ち回りでやってくる“無視の日”ってありました? つまり、ある一日だけ無視されるんですよ。それが、みんなにランダムに来るのよ。クラスの大多数から“おまえは敵だ”みたいな態度をされて。それで、一日が終わる頃になって“嘘だよ~ん”とか言うんだよね。いや、嘘って……今日、無視してたのは嘘じゃないよね!? みたいな(笑)。
で、これがおそろしいもので、そこで“嘘だよ”と言われると、“よかったー”って泣き出さんばかりにうれしくて、そこでコミュニティへの忠誠を誓ってしまうシステムというか。あれが本当に気持ちが悪くて。なんか、暗黙のそういう同調圧力みたいな。もちろん、みんな仲良かったし楽しかったですけど、でも、うっすらある不安とか悪意とかに耐えなきゃいけなくて。
だから、小学生の頃は“中学を受験して、こういう狭い世界から離れる。卒業までの我慢だ”って、本当に意識的に思ってました。とにかく、受験して私立に行こうと決めてましたね」
そして、いくつかの私立中学を受験した。結果、本命の海城中学には落ちたものの、巣鴨学園には補欠の補欠で合格。彼は、同校へ入学することに決めた。
「それなりに偏差値が高いところだから、“あ、ラッキー”みたいな感じだったんですけど、巣鴨に入学が決まってから“どういう学校なんだっけ?”と思って調べると、え? ちょっとここ、ノリが……みたいな感じでしたね」
宇多丸のラジオ番組のリスナーならご存知だと思うが、彼は中高の6年間を「巣鴨プリズン」と表現する。
「受験する前に『Uボート』っていうドイツの潜水艦映画の傑作を見に行ったんですけど、その予告でソフィー・マルソーの青春映画『ラ・ブーム』の予告が始まったんです。ダンスパーティーでみんなが踊るなか、女の子とヘッドフォンを共有して二人きりで同じ曲を踊るシーンを見て、“うわぁ! 中学に入ったら、こういう青春が待っているんだろうなぁ”と思ったんだけど、巣鴨に入ってわかったのは、俺の青春は本編のほうの『Uボート』だったんです(笑)。『ラ・ブーム』なわけないですよね、巣鴨は本当に軍隊みたいな校風だったから」
「公立から離れたい」という気持ちが先走り、巣鴨学園が厳しい校則で有名という事実を知らずに入学を決めてしまっていたのだ。
「入ってから、ふんどし〔巣鴨学園には館山海岸を白ふんどしで泳ぐというイベントがある〕だ、なんだって、ちょっと無理なんですけど……みたいな(苦笑)」