このデモテープでギターを弾いてるヤツを連れてこい

この頃の伊藤は、プロの道を諦めて就職している。音楽スタジオの社員として、ブッキングの仕事に従事するようになっていたのだ。

「その頃の感覚だと、ハタチぐらいでプロになってないと“ちょっとイタいな”みたいな感じがあったんです(笑)。だから、働いて生活費があるうえで、楽しみとして……いわゆるジョイの部分でギターやバンドをやればいい、という考え方に変わったんですね」

同世代でメジャーと契約するミュージシャンが出始めた状況も、伊藤の諦念に拍車をかけたようだ。前述のhideや、世界進出に成功したスラッシュメタルバンド・UNITEDは、伊藤と苦楽を共にした顔見知りの存在だ。

こうして、音楽とギターを“趣味”にし、分別のついた大人の道を歩き始めたように見える伊藤。世に打って出るための相棒ではなく、あくまで“ジョイ”の道具としてギターに触れるようになる毎日。しかし、思わぬところで運命の歯車が動き出した。

「音楽スタジオに来るお客さんに、顔見知りのバンドマンがいたんですけど、そのバンドメイトがELTの元メンバーの五十嵐充くんだったんです。当時、彼はエイベックスが経営していたレコーディングスタジオに住み込みで働いてて。そういうところって、営業時間が終わったらスタッフに好きに使わせてくれるんですよ。

ほら、海外ではニューヨークのスタジオで下積み時代のBON JOVIがアシスタントをしてて、営業後に自分のデモテープを作るみたいな。五十嵐くんもそういうことをやっていて。一方で、当時、高校生だった持田(香織)さんは、それまでの芸能活動の契約が切れる時期だったのかな? それで、高校を卒業してからどうするかということで、若い人から支持を得ていたエイベックスに“歌をやりたい”って、自分でプロモーションに来てたらしいんですよ。

そこで、“じゃあ、五十嵐くんとスタジオに入って、デモテープを作りなさい”という話になって、彼女をソロデビューさせるための準備が進められて。でも、デモテープを作るなかで、そのままだと味気ないということで、五十嵐くんから“ギターを入れてくれ”という依頼が僕にあったんです。

1曲5000円とかの取っ払いで、“あ、やるやる!”みたいな(笑)。それで、自分の仕事が終わったら、終電で青山のスタジオに行って、始発で帰るみたいなことをやってましたね」

さらに歯車は好転する。エイベックスの戦略として、持田をソロデビューさせるのではなく「ユニットとして世に打って出るのはどうか?」という話になったのだ。そこで「このデモテープでギターを弾いてるヤツを連れてこい」と、流れは急変していった。

「今まで受けてきたオーディションって、ギターで得意なフレーズをチョロチョロっと弾いたりするものなんですけど、社長室に呼ばれて、松浦(勝人)さんから“そこに立ってみろ”と言われて、“背は低くねえな、そんなに太ってねえな”みたいな。で、“お前、歯は最悪だな。歯医者に行ってこい”って。

“え、こんなので決まっちゃうの!?”って思いました(笑)。音楽界というより、今まで自分がまったく縁がなかった芸能という場所にいきなり入っていったので、最初はすごいギャップがありましたね」

当初、ELTにはDJやダンサーを入れる案もあったという。まさに、自由な発想のもとに活動する“売れるためのプロジェクト”でもあったわけだ。兎にも角にも、伊藤は10代の頃から抱いていた「メジャーレコード会社と契約」という夢を叶えることとなった。

「子どもの頃の感覚でいうと、これで120%、自分の生活を音楽に使っていいんだ。朝起きたら、いきなりギターを弾いていいんだ。そう思ってたんですけど、活動を通じていろいろなことを感じるようになりました。ミュージシャンって、いい音楽をやって、CDが売れて、ライブにお客さんが入ればいいんだと思ってたんですけど、そのほかにもたくさんやることがあるんだなあって」

▲音楽以外の苦労もいっぱいあることがわかりました

思い出作りとして始めたELTの活動

ちなみに、ELT加入時の伊藤の年齢は28歳。今の感覚ではそうでもないが、当時としてはかなり遅いデビューだが、夢を叶えて憧れていた世界に入れた気持ちを聞いてみた。

「一度プロになることは諦めちゃっていたし、すでにプロになった友達を見ても、そんなに大成している人がいなかったんです。3年契約を結び、それが終わったら更新されなかった、みたいなケースをよく見ていたので。だから“3年間エンジョイしよう”という思い出づくり的な気持ちが強かったんです(笑)。

こうやって言うと本当に失礼かもしれないけど、僕的には若い10代の頃の“よ~し、これで成り上がってやる!”みたいな炎は、もうなくなっていたんですよ」

ところで、ELT加入以前に伊藤が演奏していたヘヴィメタルやシティポップと、ELTの音楽性は必ずしも合致しない。そこに葛藤はなかったのだろうか?

「音楽ってお金をもらうようなものではないと思ってるんです。精神的なところで、うれしいから叫ぶ、何かを称えたいから奏でる、そういうところが音楽の根源にはあると思うので。だから、対価をもらうためには“他人が喜ぶ”という条件をクリアしなくちゃいけない、そう思っているんです。好き勝手やるのは最高だとは思うんですけど(笑)」

ELTの楽曲に触れると「おっ、ギタリストの本領を見せている!」と唸らせる、凝ったフレーズが飛び込んでくる瞬間は少なくない。

「じつは、ELTに加入した頃って、ハードロックとかメタルのギターは全然弾けなかったんです。もう10年近くやってなかったので。でも、当時はビーイングさんのバンド、ユニットがすごい流行ってて、“そういうテイストが欲しい”という発注があったんですね。

チョーキングで“クィ~ン!って”みたいな。つまり、ダンスミュージックのループにハードロックのギターを入れるのに適任と思われたから、僕が加入したんです。でも、その頃の僕はポップスばかりやってたんで“えっ、そんなに激しいの入れちゃうの!? どんな感じだったけなあ”って、昔好きだったレコードを聴き返したりしてました」

ELTの楽曲にハードロック的なフレーズが挿入されていたのは、自発的に伊藤が弾いていたからではなかった。ハードロック好きの五十嵐による発注だったのだ。

「僕よりも五十嵐くんのほうがハードロックは好きなんです。彼は僕が知らないようなことをいろいろ知ってて、その代わりに僕は彼が知らない音楽理論的なスケールとか、転調の戻し方とかテクニック的なことを伝えて。2人でギブアンドテイクしながら活動していましたね」