大学に入るまで本も読んでなかったんです
――このエッセイでは、学生の頃についても書かれてましたね。音楽系の部活ではなく、バスケ部に所属されていたのが意外でした。
柴田 バスケ、好きだったんですよね。全然うまくないのに、小学校からなんとなく続けていました。
――「将来的に音楽方面の活動をしたい」みたいな夢は、当時すでにあったんですか?
柴田 いや、全く考えてなかったですね。何も考えてなかったタイプの学生だったので(笑)。
――言葉で表現することが好きだったわけでもなく…?
柴田 大学に入るまで本も読んでなかったんです。読書っていう習慣そのものがなかった気がします。根っからの怠け者なので(笑)。ただ、歌詞を読むのは好きでした。それこそ精一さんの歌詞に高校生の頃に出会ったんですけど、衝撃を受けましたね。歌詞に、この世の全てが詰まっている気がして。そういうものは、当時から好きだったのかもしれないです。
――そうだったんですね。そこから本格的に、ミュージシャンとして生きていく道を選んだのは、何か心境の変化があったのでしょうか?
柴田 これも成り行きとしか言いようがないところがあるというか……。もともと、誰かに伝えたい気持ちを軸に作詞作曲を始めたとかじゃなかったし、絶対にミュージシャンになりたいわけでもなかったのに……、出会う人に恵まれていたとしか言えないです。
当時、聞いてくれてる人がいたこともそうですし、そういうラッキーの積み重ねで今がある気がしています。好きなように書いたり歌ったりした音楽を聴いてくれる人がいるって、ありがたいことですよね。
――今の言葉もそうですが、エッセイってある意味で自己顕示欲とも距離が近いところがあると思うんですけど、柴田さんの表現は、そのいやらしさが全くないところが魅力ですよね。
柴田 ほんとですか? 自分としては自己顕示欲の塊なんじゃないかと思ってます(笑)。あとは、自家中毒みたいなことはよく起こっちゃう。自分について考える作業をやりすぎてるんじゃないか、みたいな。
この連載では、かなり自分と向き合わざるを得なかったところがあって。改めて思ったのは、誰かのことを書くのは、あんまり向いてないなってことですかね。あくまでも“自分のことしか書けない、作れないところがあるな”と思ったんです。
私は歌を作る人間なのかもしれない
――文學界11月号では歌人で小説家の川野芽生さんとの対談もされていたかと思うのですが、そのなかで「歌は文章と違って、書ききらないほうがいいときもある」という言葉があったかと思います。反対に、曲を書く作業とエッセイを書く作業の共通点があれば教えてください。
柴田 共通点……ってほどでもないんですけど、受け取り手が作品と一緒に時を過ごす、という点では音楽と文章は似てるかもしれません。音楽のほうが少し受動的かもしれないけど、歌詞があるときは似ていますよね。
でも、どっちもやってみて、“現象を書く”ことしか私にはできないと思いました。“自分の意見がこうで、こういう結論に至りまして”みたいなことも、できるはできるんですけど、“その結論は本当にそうなのか”を考え始めると、迷っちゃうタイプでもあるんです。
だから、書ききってなんぼの文字の世界で、書ききれない自分がいることにも気づいたりして。もちろん、書くための実力がまだないのかもしれない。でも、私はあくまでも“歌を作る人間なのかもしれない”と、ふんわり思ったりもしました。
音楽って、ものすごい複合的で言葉にならないことが多いから、そこに託せるものがいっぱいあるんですけど。毎月、文學界の作家さんの作品を読みながら、言葉だけで書ききる凄まじさを感じていました。だから、文字を書く人の「書ききってやる」っていう意気込みに憧れます。
――文字の場合、モノクロの世界で自分を表現しないといけないケースもありますよね。
柴田 そうなんですよ。でも、文字の形とかが余白みたいに働くんだなっていうのは、川野さんと喋っていて思いました。川野さんは朗読もされるんで、言葉が音になったときに変わってくる側面もあるそうです。
――たしかに、そういうこともありますね。一方で、柴田さんはアイドルユニットのRYUTistや上白石萌歌さんへ楽曲提供もされてるじゃないですか。人が歌うことを前提にした言葉、自身が歌うことを前提にした言葉、それぞれ意識している点に違いがあれば教えてください。
柴田 自分では歌えない言葉も、他の誰かが歌えるなら歌ってほしいんです。無責任ですけど(笑)。自分のことについては慎重になっちゃうところが、どうしてもあるんですよ。「自分はこれ歌えるかな」とか「歌うの怖いな」とか。
一方で、その人のエッセンスが入ってくれればいいな、そう期待している自分もいるんです。楽曲を提供するときは、“その人が歌う”ことを重要視して曲を作っています。とはいえ、だんだんこれも変わっていきそうなんですよね。あて書きしすぎるのも、どうなんだろうって最近は思い始めて。解釈したり表現したり、その人ができるようにしておくほうがいいのかもしれない。そんなふうに思い始めています。
(取材:すなくじら)
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