とにかく“数撃ちゃ当たる”で送ってました
――一番のピークでどれくらい送ってましたか?
ブティック ざっくり、4000くらいですかね。
――年間ですか?
ブティック いえ、1か月で、です。
――すごい…! 前にウノTさんにお話をお聞きしたときも、この番組には何通送って、みたいにノルマを自分に課してた。今、自分が選ぶ側になると、やめてくれって思うと言ってました。
ブティック まさにそうですね。手帳に毎日、何通送ったか書いてたんですけど、100を切ることはなかったので、1か月で4000超えてましたね。でもまあ、それは大学4年の頃で、就職はせずに芸人の養成所に行くことを決めていたので、あとは卒論を書くだけだから、すごく恵まれた環境だったんですよ。
――採用率はいかがでしたか?
ブティック かなり読まれていたと思います。ただ、僕は長文じゃなくて、とにかく“数撃ちゃ当たる”の精神でやっていたので。
――ハガキ職人としての日々が、芸人としての活動に生きているところはありますか?
ブティック 考えることが苦じゃないってことですね。周りを見てると、ひとつのネタがダメだった場合、そのネタで粘ったりとか、次のネタ考えるのイヤだなとか言ってるんですけど、僕の場合、ストックもあるし“はい、次”みたいな。切り替えが早いのは、あの当時、めっちゃ考えて投稿していたことの賜物かなと思いますね。
――ブティックあゆみさんは、現在、はっしーはっぴーさんと「コンピューター宇宙」というコンビで活動されています。
ブティック コンビを何回か解散しているんですけど、コンビを変えるごとに、相方のIQが下がっています(笑)。
――(笑)。コンピューター宇宙のネタ、面白いですよ。
ブティック ありがとうございます。相方が1人でテレビに出て、コンピューター宇宙って名前を認知させてくれるんで、僕はネタ作りに集中できる。お互い、ピンの活動に嫉妬しないし、今はすごくいい関係だなと思います。
今はラジオを聴いていない…その理由は?
――ブティックさんの場合、放送作家の道もあったんじゃないかと思います。
ブティック それ、芸人になった当初、すごく言われました。答えとしては“誘われなかった”が一番大きいんですけど、同世代のトップとして「ツチヤタカユキ」さんがいらっしゃったので、“ツチヤさんは誘われてるもんな”と思ってました。でも、自分から作家になるためにアプローチしたこともなかったんですけど。
あとは、大学生くらいの頃に大喜利のイベントを知って、大阪や東京の大喜利大会に出てたら、人前で笑いを取る快感を知ってしまったんですよ。ファミ通町内会で載ったりとか、ラジオでパーソナリティーに読まれて笑われるとは、また違った快感なんですよね。もともと、自己顕示欲が薄かったのが、大喜利のイベントに参加することで“芸人やってみたいな”と思ったのはありますね。
――現在も聴いているラジオはあるんですか?
ブティック テーマに合ってなくて申し訳ないと思うんですけど……ないんです。というのも、芸人の養成所に通ってから卒業するまでは聴いてたんですけど、当時ピンでフリップネタをやっているとき、どうしても山里さんの感じになっちゃうなと思って、そこでパタっと聴くのをやめました。引っ張られちゃうなって。
だから、周りの芸人で「ネタ書いているときにラジオ流してる」と言ってる人がいたんですけど、僕は考えられないな!って。あと、聴いてると絶対に投稿したくなっちゃうんで、芸人としての時間が削られちゃうっていう。
――ラジオに対しての熱い思いがあるからこそ、なんですね。
ブティック 器用じゃないだけかもしれません。でも、まあ言い方ですけど、僕は投稿するためにラジオを聴いていたというところがあったんで。もちろん、そのパーソナリティーの人が好きで、トークが面白いのは大前提として、自分も投稿で番組に関わっているんだ、という気持ちでやっていたので。
――自分でラジオやってみたい、という気持ちもありますよね?
ブティック 一応、事務所ライブの特典として、TOKYO FMさんで番組をやらせていただいたり、Stand.fmをやってみたりもしたんですけど……。『水曜 JUNK 山里亮太の不毛な議論』がラジオの原体験で、TBSラジオのJUNKは全員芸人さんがパーソナリティー、という入りだったので、一番すごいのを最初に聴いちゃったんですよね。だから、YouTubeとかでやってみよう、というモチベーションにならないんです。
これは『アメトーーク!』のハガキ職人芸人のプレゼンではカットになっちゃったんですけど、芸人をやりつつ、売れている芸人さんのラジオで作家として関わりたいなと、そこまで思ったりしています。
――好きだからこそ安易に手を出したくない、みたいなことですか?
ブティック そうですね。何度か手を出そうとしたけど、自分の中でこんなにもラジオって偉大なものなのかって。ある意味、神聖なものだから向き合うのに苦しい側面もあります。ラジオを日常的に聞かなくなっって10年以上経つのに、呪いみたいに自分にまとわりついているものなんだなって。
自分の中でラジオを聴く習慣って、大学に入ってからだと思ってたんです。それが、この取材のオファーを受けて、ふと思い出したことがあって。小さい頃、おばあちゃんが寝る前に必ずラジオを流していたんです。『ラジオ深夜便』とか落語とか、演芸を流す番組とか。それを聴きながら寝ていたことを思い出して、自分の血に宿っているじゃないですけど、ラジオのある生活が体に染みついているんだなって。