現在はradikoの普及もあり、以前より幅広い層に聴かれるようになったラジオ。そのラジオに欠かせないのがハガキ職人(現在はメール職人と呼ばれることも多い)の存在だ。その日のテーマやコーナーに合った投稿を続ける「ハガキ職人」。同じラジオネームを何度も聞いたり、違う番組で同じラジオネームを聞いて驚いた経験が、ラジオ好きであれば一度はあると思う。

そんなハガキ職人の生態や現在に迫る「Radio Holic~ラジオとハガキ職人~」。今回は、蓮見翔(ダウ90000)のソロチャンネル『蓮見水族館official YouTube channel』の作家や、ラジオに魅了された高校生が主人公のドラマ『僕たちの校内放送』(フジテレビ)で脚本を務めるなど、多岐にわたって活躍する放送作家・前田知礼​​さんにインタビュー!

ラジオネーム「だるまボーイ」として地元・広島で名を馳せた学生時代、作家になったきっかけを聞いた。

▲Radio Holic~ラジオとハガキ職人~<第2回:前田知礼(放送作家)>

『大窪シゲキの9ジラジ』でモノマネを披露

――さっそくですが、ラジオとの出会いから教えてください。

前田 小学校の先生をしている父親が、陸上のクラブチームのコーチをやっていて、毎週土曜日に運動公園に教えに行ってたんですよ。僕も小1からその練習に連れて行かれていて、その車内ではいつもラジオが流れていました。

その番組が、広島の重鎮ラジオパーソナリティー・一文字弥太郎さんがやられていた『週末ナチュラリスト』(RCCラジオ)。交通情報があって、メールが来て、ニュースを紹介するコーナーがあって……とラジオの枠組みを認識した番組でもありました。

――積極的にラジオを聴くようになったきっかけは?

前田 親が中学の入学祝いにラジオコンポを買ってくれて、そこでラジオを聴くようになりました。最初にハマったのが『国分太一 Radio Box』(JFN)です。その番組は、いま考えても変なんですけど、アイドルのラジオっぽくなく、ハガキ職人が好きそうなコーナーが5つぐらいあって(笑)、そこにネタを送るようになりました。

――そこから、いろんな番組を聴くようになったんですか?

前田 広島FMでは、国分さんの番組が終わったあと、地元の中高生に寄り添った『大窪シゲキの9ジラジ』という番組をやっていて、ファンだった高橋優さんがゲスト出演されたんです。それをきっかけに『9ジラジ』も聴くようになりました。

毎日聴いてメールを送るようになるうちに、リスナーと電話をつなぐ「9ジラジ掲示BANG-BANG」というコーナーに「電話出演してみませんか?」と声をかけていただきました。モノマネができることは事前にお伝えしていたので、井上陽水さん・武田鉄矢さん・福山雅治さんなど、DJの大窪さんにいろいろ振っていただいて、すごく盛り上がりました。

その放送の日、リスナーさんから「私は学校でいじめられていて、ツラい日々を送っていたけど、だるまボーイさんのモノマネを聞いて、久しぶりに笑いました」というメールが紹介されて……「こんなことでも誰かを笑顔にできるんだ」と、ラジオのすごさを感じた瞬間でもありました。結局、そのモノマネをきっかけに、僕のモノマネのコーナーが作られたんです。

――もはや、名物リスナーじゃないですか!

前田 家庭訪問企画で大窪さんがウチに来られて、10回分くらいのモノマネを録音したんですけど、そこには高橋優さんのモノマネも入れていて……。よせばいいのに、高橋さんがゲストでいらっしゃったとき、それをご本人に聞かせたんです。

ちょっとバカにしたニュアンスにも聞こえるから、高橋さんも「なんですか、これは」と困惑されていて(笑)。その後、高橋さんのコンサートに行ったら、大窪さんから「今から会いに行きましょう」と楽屋に連れて行かれて、そこで挨拶をしました。

――すごい体験ですね(笑)。全国放送のラジオを聴くようになったきっかけは?

前田 高校に入る前、親からスマホを買ってもらったので、もともと映画好きというのもあって『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBSラジオ / 通称:タマフル)、そして『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)をPodcastで聴くようになりました。

『カーボーイ』で初めて読まれたのは高3の秋。「思っちゃったんだからしょうがない」のコーナーで、「もしも、さだまさしがコンビニの店員だったら」というネタでしたね。そこからはムカついた先生とか、学校でひどい目にあったら、全部「怒りんぼ田中裕二」のコーナーに送って、ストレス発散のはけ口にしていました。

▲「だるまボーイ」はヘビーリスナーであれば一度は聞いたことがあると思う