つらい状況を耐えたその先に本当のチャンスがやってくる。ガラガラの会場、ブーイングの嵐、会社の身売り……。存亡の危機にあった新日本プロレスを支え続け、プロレスファンからの罵倒を乗り越え、不動のエースになった「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、言葉を力にして立ち上がった。棚橋弘至が、その“力強さ”と“怖さ”を語る。
ケガが教えてくれた「超! 頑張る時」
周期的に人には「超! 頑張るべき時」が来る。
それは受験、部活、仕事などシチュエーションはさまざまだが、この「超! 頑張るべき時」を気付けるかどうかがとても大事であり、意識して過ごした人とそうでない人では、あとで大きな差が出る。
2018年1月27日の札幌大会。鈴木みのる選手との試合で、僕のヒザは完全に壊れた。会社との話し合いで欠場が決まり、失意の中で新千歳空港へと向かった。他の選手はこの日も札幌で試合がある。
リングに立てない悔しさやヒザの痛み……、それらのストレスが自分の中の何かを弾けさせた。
僕は空港に到着すると真っ先にジンギスカン屋さんに向かい、しこたまラム肉を食べた。
会計を済ませると間髪入れずにラーメン屋さんに足を運び、チャーシュー味噌ラーメンを堪能。さらに搭乗ゲートをくぐったあとは、カフェで乳脂肪分の高い北海道ソフトクリームを味わった。
飛行機への搭乗が始まると、今度は美味しそうな魚介系のお弁当を買い込んで機内へ。これが暴飲暴食の始まりだった。
なぜ、こんなことになったのか……。
それは、僕のヒザの怪我には完治がないからだ。
お医者さんに「これだけ休んだら良くなりますよ」と言ってもらえれば、計画も立てやすいし頑張るモチベーションにもなる。しかし、完治がない場合は「どうすればいいのか?」という精神的な負荷が半端じゃない。
ファンの方にはTwitterやブログで、たくさんの優しくて温かいメッセージをいただいた。
「しっかり休んで治してください!」
「半年でも一年でもいいので待ってます!」
「絶対に完治させてください!」
とても感謝している。だけど、僕の中の「休んだところで完治しないんだ! !」という向ける矛先のない怒りが、内へ内へと流れ込んでくる。
そして、この憤りを心に留めておくことができなくなると、ついにはTwitterで
「治らないものは治しようがない」などとツイートしてしまう始末。
スポーツ選手のキャリアは「加齢」との闘いでもある。サッカー選手やプロ野球選手に比べれば、プロレスラーの現役生活は長い。しかし、ケガが治らないのであれば続けることもできない。一瞬、頭に「引退」の二文字がよぎった。
札幌から東京に戻っても、すぐに気持ちの整理ができるはずもなく、とにかく食べ続けた。プロレスラーは試合と試合の間隔が短いので明確なオンとオフがなく、常にコンディションをキープする必要がある。たとえ家族と食事に行っても少量で我慢することも多く、みんなと同じメニューを食べられない。
しかし、欠場は何かが弾けてしまっているので、いままで行けなかった食べ放題の店や、宅配のピザ、コンビニでお菓子の大人買いなど、思いつく限り、ありとあらゆる食の欲望を叶えていた。
ところが、欠場から4日目の1月31日の夜。ファストフードでお腹を満たしていると突然、涙が溢れてきたのだ。
本来なら今頃、自分はリングで活躍しているはずじゃなかったのか? 腹筋をバキバキに割って、スポットライトを浴びて、毎日取材を受けて、テレビにも出演して……。それが今は腹筋も消えかかり、体重も二桁増量に迫る勢いだ。
「こんなとこで何やってんだ、俺は!」
悔しさと情けなさで溢れ出た涙は、いつの間にかテーブルに溜まっていた。
そして迎えた2月1日の朝。自分の中でいきなり「カチッ」とスイッチが入った。「頑張るべき時は今だ!」と、過去の経験が教えてくれたような気がした。
甲子園予選で2回戦敗退した高校3年の夏から、必死に勉強をした大学受験までの半年間。
新日本プロレスの入門テストに合格したのに長州さんに「大学を卒業してから来い」と言われ、残りの単位を死に物狂いで取った1年間。
新日本プロレスに入門し「1日でも早くリングに立つ!」と覚悟を決め、練習して食べまくって12㎏増量したデビューまでの半年間。
「あの何かに取り憑かれたようにがむしゃらに頑張った日々を、もう一度過ごすんだ!」
そう意気込んだ僕は復帰後の自分をイメージしながら、徹底した食事制限、そして朝晩の二部制での猛練習に取り組んだ。
ヒザに関しても「治らないものは治らない」とあきらめるのではなく、「治らなくても少しでも良くすることはできる」と考えを改め、ヒザ周りの筋力を日々トレーニングした。
これが地味でキツイ。しかし、1週間ほど過ぎた頃には、あの頑張った日々と同じ感覚、集中力が蘇り、一種のトランス状態に入った。
欠場中はリハビリや練習に限らず、本を読んだり映画を観たりと、いろいろなインプットの時間にも充てた。さらには新日本の世界進出に歩みを合わせるように、英語も徹底的に勉強。自分で言うのも何だが、棚橋に時間を与えるとエライことになるのだ(笑)。
そして、3月に復帰を果たした僕は、その後紆余曲折ありつつも巻き返しを図り、この年の東京スポーツ新聞社制定のプロレス大賞MVPを受賞することができた。
ピンチは最大のチャンス、目標を持って生きる。
このときの“奇跡の1カ月”は、これがどれだけ大事かを再確認した日々となった。
※本記事は、棚橋弘至:著『カウント2.9から立ち上がれ!(マガジンハウス刊)』より、一部抜粋編集したものです。