つらい状況を耐えたその先に本当のチャンスがやってくる。ガラガラの会場、ブーイングの嵐、会社の身売り……。存亡の危機にあった新日本プロレスを支え続け、プロレスファンからの罵倒を乗り越え、不動のエースになった「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、言葉を力にして立ち上がった。棚橋弘至が、その“力強さ”と“怖さ”を語る。
両国国技館での起死回生
約10年前(2009年10月)、両国国技館大会で当時IWGPヘビー級王者だった中邑真輔(なかむらしんすけ)〈僕のライバルであり、現在はアメリカのプロレス団体WWEに所属〉が、大谷晋二郎(おおたにしんじろう)さん〈元・新日本のレスラーで、現在はプロレスリングZERO1の中心選手〉を相手に防衛に成功した。
その直後、僕は挑戦表明するためリングに上がり、中邑の前に立ちはだかった。
当時、僕は「茶髪でチャラい」「新日本らしくない」などの理由から、激しいブーイングを浴びていた。さらに中邑と大谷さんが素晴らしい試合をし、ファンとしてはその余韻に浸りたいシチュエーションだったにも関わらず、ノコノコと場違いな人間が現れたものだから、案の定ブーイングの嵐が降り注いだ。
中邑も一切こちらを見ず、シカトを決め込んでいる。ファンからは「帰れ! 帰れ!」と罵声を浴び、中邑にも相手にされない。そのときの僕は、まさに〝招かざる客〟だった。
考えろ、考えろ、考えろ……。
僕は瞬時に脳細胞をフル回転させた。すると、この状況を好転させる方法が一つだけ浮かんだ。それは自分を客観視することだった。
「中邑! 中邑! 中邑! 中邑! 中邑~ッ! !」と繰り返し叫んだあと、僕はこう続けた。
「どうだ? うっとうしいだろ!?」──。
そうしたらなんと、あれほど僕を敵視していた観客から「ワー!」とか「おお!」という好反応が返ってきたのである。まさに起死回生の逆転ホームランだった。
今思えば、「他者から自分がどう見られているか」を瞬時にとらえ、最適な言葉を発することができたから“正解”を導き出せたのだろう。それと同時に「ああ、いま俺は1万人からうっとうしいと思われてるんだな」と再確認できた(苦笑)。
大前提として、プロレスラーというものは「自分こそ一番である」という野心を持つべきだと思う。しかし、ときには置かれたシチュエーションを俯瞰(ふかん)し、的確に状況判断することも大切だ。
この、物事を客観視することの重要性、それを僕に教えてくれたのは父親だった。僕は子供の頃から目立ちたがり屋で、常に自分が中心になりたいと思っていた。そんな僕が大学進学のタイミングで一人暮らしを始めるとき、父親から短い手紙を受け取った。そこにはこう書かれていた。
「誰が主役なのかを常に見極め、身体を自愛してがんばれ」──。
きっと父親は調子乗りの僕に、戒めとして伝えたかったのだろう。あの両国国技館の逆境からの思いがけぬ大歓声は、このときの父の手紙が産んだ賜物(たわもの)かもしれない。
※本記事は、棚橋弘至:著『カウント2.9から立ち上がれ!(マガジンハウス刊)』より、一部抜粋編集したものです。