つらい状況を耐えたその先に本当のチャンスがやってくる。ガラガラの会場、ブーイングの嵐、会社の身売り……。存亡の危機にあった新日本プロレスを支え続け、プロレスファンからの罵倒を乗り越え、不動のエースになった「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、言葉を力にして立ち上がった。棚橋弘至が、その“力強さ”と“怖さ”を語る。
ウィットに富んだ野次を!
ある大会が終わり、帰りのバスの中でTwitterのタイムラインを見ていた。ファンの方から「面白かったです!」「また来てください」などのツイートを嬉しい気持ちで噛みしめる時間は、この仕事の一種の醍醐味だ。
しかし、とあるツイートが目に留まった。要約すると「棚橋に対して野次を飛ばした人に、ファンの女性が注意した」ということだった。
気になったのでさらに調べてみると、その野次とは「棚橋、壊れろ!」というものだったらしい。きっと僕を応援してくれている女性はとても残念な気持ちになり、居ても立ってもいられずに抗議したのだろう。
好きな選手を応援してプロレスを楽しんでほしいというのが、僕の願いであり、理想である。
プロレスは見る者の喜怒哀楽を呼び起こしてくれるジャンルだ。
「試合が盛り上がって楽しい」「応援している選手が勝って嬉しい」「好きな選手が負けて悲しい」「反則攻撃に怒りを覚える」……。
感情の動きというものは心地よい疲労感と充実感を与えてくれる。しかし、この日の野次はそれに当てはまらないように思えた。
この棚橋ファンの女性はプロレスを楽しめたのだろうか?
「あらゆるスポーツ、エンターテイメントが存在する中、奇跡的な確率でプロレスを好きになってくれたこの人に、プロレスを嫌いにならないでほしい」……。
そんな思いに駆られた僕は、すぐさま次のようなツイートをした。
【みんなにとってプロレスは楽しいものであってほしい。俺がもっと頑張ります!】
「どうにか彼女まで届いてくれ」という気持ちだった。
野次に対して考えると、ヒールに向けられるブーイングは、むしろ賛辞だと捉えることができる。なぜならレスラーが勝ち取った一つのリアクションと言えるからだ。だが、野次にも「暗黙のルール」というか、線引きをしなくてはならない部分があると思う。
今回のように一緒に観戦しているファンが不快になるようなモノは控えてほしい。僕は「プロレスはスマートな大人が楽しむジャンル」だと昔から考えているからだ。
とはいえ、そういった生の強い感情も、ジャンル自体に熱がある証拠だという見方もできる。
僕が思うに、ブーイングには「ウイット」が必要なのではないだろうか。あからさまなウケ狙いではなく、暗喩(あんゆ)を含んだウイットだ。
その使い分けこそが、スマートな大人の境目。「大筋は野次でありながらも、オブラートにやんわりと包んだようなイメージ──」といえば、少しは伝わるだろうか。
SNS全盛の現在では、残念ながら毎日のように罵詈(ばり)雑言が飛び交っている。批判するのは構わないが、そこにはウイットに富んだスマートさが必要だと思う。
「野次を飛ばすにも、ある一定のルールに基づくのが大人のマナー」──、そう僕は思っている。
※本記事は、棚橋弘至:著『カウント2.9から立ち上がれ!(マガジンハウス刊)』より、一部抜粋編集したものです。